イタリアをはじめ、ヨーロッパの旅番組やガイドブックでよく見かける「フレーズ」です。ロマンチックな景観をイメージさせてくれます。確かに中世の街並みは、城壁、石畳、石段、坂道が特徴で「絵になるまち」が多く、ゴローザもこの時代の佇まいに惹かれます。しかしながら「中世」とは実際にはどんな時代だったのでしょうか。「中世の街並み」が今も残っている理由とは?
さっそく、我が家のライブラリーに並ぶ書籍から、ちょっと調べてみたいと思いました。もちろんイタリアのおはなしですよ。
中世はルネッサンス人から見た、彼らの時代(近代)と古代ローマ時代に挟まれた「中間にある時代」でした。古代の文明が中断された「つまらない時代(暗黒時代)」と捉えられていたようです。
11〜12世紀には、小さな都市国家が乱立し、長い戦国時代に突入、領土を広げるために始終戦っていました。防衛上の理由から、多くのまちは丘の上に形成され、城壁に囲まれ、その中は曲がりくねった細い道が縫うように走っています。イタリア山岳丘上都市の文化は、このように中世に大きく展開していったのです。
敗北した都市国家は、強国の支配下に置かれることで衰退し、その結果、中世がそのまま凍結したような風景が保たれたという訳です。ルネッサンス期(1400年代)になると、ある程度大きな都市国家が生まれ、広場や街並みが整備されました。この対比は目でみて明らかで、中世期とは趣きを異にしています。
ゴローザがはじめて訪れた中世都市はアッシジ、イタリア中部のウンブリア州にあります。風情ある坂の小径、美しいパターンの石畳、どこを切り取ってもフォトジェニックです。それから9年経ったある日のこと、本屋さんで目に飛び込んできた FIGARO の表紙、わたしがかつて撮ったお気に入りの一枚と全く同じ風景がそこにあったのです。『中世の街並みはまるで時が止まったかのようだ』