初めてのイタリア一人旅は今から17年前のこと。当時小学生だった息子の世話を母に頼み、実現した『イタリア語を学ぶ』という名目の旅。10日間のお暇をもらうのがせいぜいで、イタリア中の語学学校をしらみつぶしに探して決めた行き先はボローニャ。一週間の日程で個人レッスンを受けられるプログラム、午前中は文法を、午後は会話を学ぶというもの。
ミラノ経由で夜遅くボローニャに到着したわたしは、疲れが出るどころかその真逆。『一人でイタリアにいる』という解放感と活力に満ちていた。『この10日間の一分一秒だって無駄にしたくない』… 初日のレッスンは午後からだったから、午前中を隣町のモデナ観光に当てようと思いつきボローニャ駅にやってきた。だが、切符売り場は長蛇の列。聞けば、その日はボローニャの守護聖人「聖ペトローニオ」の祝日だという。一向に進まない切符売り場にしびれを切らし、切符も買わずに電車に飛び乗った。ところが到着時間をとうに過ぎているはずなのに、電車は停まる気配がない。だんだん不安が増してきた。
通路にいる一人の青年に「モデナはまだですか?」と聞くと「この電車はミラノまでノンストップですよ!」と素敵な笑顔で答えるではないか。「え~!どうしよう!!」ビックリ仰天、動揺するわたしを見て、その青年も心配顔に。事情を話すと、彼は持っていたボストンバッグの奥から時刻表を引っぱり出し…「ミラノに着いたら、○時○分のユーロスターに乗って引き返してください。待ち時間は5分ほどですから、乗り場を間違えないでくださいね。ボローニャには△時△分に着きますよ。レッスンには少し遅れるけど、連絡しておけば大丈夫でしょう」
青年に丁寧にお礼を言い、学校に電話連絡、事情を話して了解を得た。これで一安心。吸い込まれそうなくらい、きれいな淡青色の目をしたその青年の名は「リッカルド」。彼のおかげで「イタリア語の慣らし運転」をしたわたしは、午後のレッスンで緊張することもなく、快調な滑り出しを切ることができたのだ。
その日出された宿題は『日本の戦後の社会的、経済的情勢についての小論文』…テーマは自分で探さなければならない。焦った!学校を出てデリカテッセンに駆け込み、夕食を調達(腹が減っては軍はできぬ)。急いで宿泊先に戻り、日本にいる父に電話。その時、父がくれたヒントは ❶ 60年代の東海道新幹線の開通と東京オリンピック ❷ 70年代の万国博覧会のふたつ。こうしてわたしはまさしく望み通り、一分一秒も無駄にできない状況に陥るハメになったのだ。
『アクシデントは語学を上達させる』…これは自身の体験から感じることである。毎年、聖ペトローニオの日がやってくるとあの日のできごとを思い出す。あの澄んだ目をした「リッカルド」のことは今でもくっきりと記憶に蘇る。
Grazie Italia! ありがとう イタリア!
Forza Italia!! がんばれ イタリア!!