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石田 博、ソムリエ世界一への再挑戦

Vol.01 伝説の人の巻

ソムリエ甲子園

学生時代について聞かれると、石田博はこう答えて笑った。1969年、東京生まれの石田は小学校1年生からボーイズリーグで硬式野球を始め、ピッチャーとして活躍した。甲子園を狙える名門高校に入学してからは、ほとんどすべての時間を野球に費やした。

ところが、最後の夏を迎える直前、身体に不思議な現象が起きた。

「体調が悪いわけではないのにボールを投げると、なぜか方向が定まらない。その日からキャッチボールさえまともにできなくなってしまいました」
原因は、精神的なプレッシャーなどが原因で特定の動作ができなくなってしまう「イップス」と診断された。プロのスポーツ選手でも悩まされることがある運動障害だ。

「治らないのならしょうがないので野球はきっぱりあきらめ、別の道をめざすことにしました」

それはホテルで働くことだった。

明確な理由があったわけではない。料飲部門でサービスの仕事についてみたいと思った。1990年にホテルニューオータニに入社、4年目にレストラン「トゥールダルジャン」に配属されたことで人生が大きく展開する。

「ソムリエとして働いている先輩社員に憧れ、見よう見まねで仕事を覚えていくうちにフランス料理とワインの奥深い世界を知り、強い興味を持ったのです。さらにソムリエのコンクールがあると聞き、甲子園を目指していたころと同じ気持ちで挑戦してみたくなりました」

以来、彼はワインとのストイックな関係を保ち続けている。

「私にとってワインは飲むものではなく、学ぶものだと思っています。コンクールに出ると決めてからは可能な限り試飲会に参加し、自分でもテイスティングを繰り返してきました。またワインだけでなく、料理やサービス全般についても広く勉強していくことで知識量を増やしていったのです」

その世界が「キャリア2年目にして国内大会優勝」という快挙につながった。そして、日本代表として臨んだ第9回世界大会では予選落ちという苦杯を舐めたものの、次のモントリオール大会で見事3位入賞を果たす。まだ31歳という若さだった。

石田が「ソムリエ界の兄」と慕うロオジエのシェフソムリエ、中本聡文は、出会ったころの印象をこう語る。

「当時、田崎(真也)さんが主催していた若手ソムリエの育成会で一緒になったのが最初でした。私より4歳若く、しかもソムリエとしての経験も少なかったのに実力はあったし、なにより熱心だったので、あっという間に成長していきましたね」

中本が感心した点のひとつにコメントの豊かさがある。

「コンクールではテイスティングしたワインの特徴を的確な言葉で伝えなければなりません。そのためにはワインを見極める感覚だけでなく、過去にどんな表現が用いられたかという知識や、ここではどういう表現を使うべきかというセンスが必要になるのですが、これらすべての点において石田君は巧みでした」

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