超メジャー級を目標に
若いころから群を抜いた実力をみせていた石田だけに、世界大会3位入賞の快挙も、当然と受け止めた人が多かった。だからこそ「次の活躍」が期待されたのだが、本人はその段階でひとつのゴールを迎えたと考えていた。
「2大会連続の出場で休みたかったのはたしかです。世界への挑戦となると準備も大変であり、その分、仕事や私生活すべてにかける時間やエネルギーが削られてしまいます。私自身はソムリエという職業で成長していきたいと思っていたので、しばらくは仕事に専念することにしたのです。子供もまだ小さかったこともありました」
2004年、新たに開店したレストラン「ベージュ アラン・デュカス東京」に職場を移し、やがて総支配人という要職に就いたことでコンクールとの距離はさらに開いていく。
「レストランの経営にまで責任をもつようになり、多忙ではあったものの、仕事のおもしろさや、やりがいと強く感じた時期でした。このため、ソムリエという肩書きは捨てたほうがいいのではないかと考えたほどです」
ところが40代になって自分の進むべき道を改めて考えたとき、頭に浮かんだのはソムリエへのこだわりだった。
「ピーター・ドラッカーの『人の強みを活かす』という言葉を自分にあてはめたとき、ベースにあるのはソムリエなのだから、その部分をもっと磨くべきだと思うようになったのです」
世界最優秀ソムリエコンクール入賞という実績をもつ石田は、アラン・デュカス・グループのワインの責任者、ジェラール・マルジョンから一目置かれていた。一緒にテイスティングする機会に恵まれ、ワインのスペシャリストとしての経験はむしろ積み重ねていた。
「マルジョンさんは世界を代表するワインのプロであり、誰もが認める超メジャー級のソムリエです。そんなすごい人の仕事ぶりを目の当たりにさせていただき、本当に勉強になったと同時に、彼を人生の目標にしようと考えたのです」