液体は正円になった瞬間味が拘束される
そのグラスに出会ったのは、数年前のとあるワイン会。
「ボトル内のワインの味わいを、そのまま味わってみたいと思いませんか?」
ワインとグラスの関係についてまだ無知だった頃、そんな言葉に連れられての参加だった。そこで出会ったのが、ボウル部分が歪んでオーバル型になったグラスでした。
場所は銀座にある、創業1950年を誇る老舗フレンチレストラン、エスコフィエ。懐かしさと重厚感が入り混じるこのレストランでは、ひとつの考えを基に飲み物のサービスが行われていました。
それは、「飲み物(液体)は、正円を形成した瞬間に、味や能力が拘束される」という理論です。
ワインを嗜むようになって、その後いくつものワイン会に参加し、いろいろなグラスで比較もしてきたけれど、あのエスコフィエの歪んだワイングランスが忘れられません。あらためてお話が聞きたくなり、訪問してきました。
ランチタイム。この日は店名を冠するエスコフィエ・ランチをチョイス。ドラマ『天皇の料理番』のモデルにもなったというメニューです。
まずはグラスシャンパーニュをオーダーすると、グラスがふたつ運ばれてきました。ソムリエさんはふたつのグラスにシャンパーニュを注ぎ、「どうぞ、飲み比べてみてください」と、ひと言。
ひとつはフルート型。もうひとつはエスコフィエのオリジナルの歪んだグラス、樹(いつき)。
さあ、どうでしょう。同じシャンパーニュを目の前で注いでくれたのに、まず香りの立ち上り方が違います。かんきつ系の爽やかな香り、ハチミツのようなコクがあり、これらは時間が経過した後になり、さらに差が感じられます。素直に感想を伝えると、こんな実験も行ってくれました。
左のお皿にはスーッとお醤油を適当に流しただけ。一方、右のお皿にはくぼみにあわせ、お醤油がまん丸に形づくられました。さあ、目の間でお皿に落とした同じお醤油、味は変わる? 変わらない?
「飲み物が、正円になった瞬間に起こる分子の結合が、味を決める」という理論からすると、右のお醤油は分子が結合してしまいました。舐めてみた印象は、塩辛い。
ところが左のお醤油は、右のものほど塩辛くない。しかも時間が経てば経つほど差が開いてくるように感じられるのだから、不思議です!
「飲み物は本来、食材にあわせられる柔軟性を持っている」のに、正円のグラスがその柔軟性を壊していたのです。今までマリアージュに向かないとされていたお料理とワインの組あわせも可能にするため、このボウルの歪んだグラスは作られたのです。この樹グラスは「奇跡のグラス」とも称されます。
グラスの違いで、ワインの味わいが変わった経験を持つ方は多いと思いでしょう。
では、樹グラスでワインはどう変化するのか、そして今までにないマリアージュは成功するのか……、もっともっと試してみたいと思います。