
耳ある者に甘露の門は開かれた
レルミット、ル・パヴィヨン、レ・グレフュー、ル・メアル、ド・ロレという、エルミタージュの単一畑ワイン、「セレクション・パーセレール」。
いわく言いがたいエネルギーが、ひとつひとつまったく異なった様相で、広がり、伸び、流れ、肉体に浸透し、意識を覚醒させ、ワインと自らの存在が一体化していく、神秘的な体験。土壌という物質に端を発したエネルギーの流れは、こうして私個人の自我に至り、その自我がエネルギーのありかたを変え(今書いているという行為の意味だ)、方向を定め、エルミタージュへと帰っていく。
そこには個別的なワインという物質はもはやない。恒常的な私という肉体もない。ミッシェルが言う、輪廻転生。長年の求道の結果、彼が新たな次元に到達したのは明らかだった。
とはいえ、セレクション・パーセルとはミッシェル自身が真理に至ろうとする修行であり、過程であって終着点ではない。その向こうにはM. シャプティエ社の壮大なラインナップが待っている。
プレスティージュ・シリーズからペイ・ドック・シリーズに至る数多くのワインは、彼の感得した真理に基づき、それぞれのアペラシオンを正しく再定義したものである。
たとえば、プレスティージュ・シリーズの「コンドリュー インヴィターレ」。単にリッチでフルーティな並みのコンドリューとは隔絶した、地面にのめり込むような重量感のある硬質なミネラルと香りの上昇力がもたらす、未経験のダイナミズム。
そして、ペイ・ドック・シリーズの「ペイ・ドック ブラン」。求心的で硬質なテレ品種と外交的でリッチなヴェルメンティーノ品種を等価で対立させたことによる、陰陽の力のせめぎあい。どのワインも物質として立ち止まらず、必ずエネルギーの流れをつくりだそうとしている。
これがM. シャプティエ社のワインの神髄だ。ミッシェルが語った真理は、あらゆるワインの中で、それぞれの形で反映される。苦行を終えた仏陀は鹿野苑(ろくやおん)で初転法輪(しょてんぽうりん)を行い、こう言う。
「耳ある者に甘露の門は開かれた」。
この言葉をミッシェルが言ったとしても不思議ではない。