ビオディナミは輪廻転生、真理探究のため
超多忙なミッシェル・シャプティエを訪ね、私は普通の質問をした。あなたにとって、ワインとはなんですか?
すると彼は怒涛のように話し始めた。
「キリスト教の教会は十字形平面を採用する。教会のエネルギーは身廊入り口で思考になり、交差廊と交わる主祭壇の場で最低となる。しかしそのエネルギーはふたつの地点で様相が異なる。入り口のエネルギーは下向きで、主祭壇では上に行く。だから伝統的に葬式で遺体が置かれるのはそこだった。魂が天に昇るためにはそこしかない。ヴァチカン主祭壇の下にはなにがある?」。
聖ペテロの遺体です。
「霊的な存在となった人間のエネルギーは身廊の入り口へと向かう流れとなって参会者に受肉される。この循環システムを保証する物的構造が教会建築だ。そのシステムを古来、輪廻転生と呼ぶ。それは人間が見つけ出した真理だ。聖書の中にもそれが描かれているのは知っているだろう」。
イエスは最後のアダムである、という表現があるし、ヨハネによる福音書第9章もその例かも知れない。
「ユダヤ教は輪廻転生を認める。キリストの磔刑と復活をそう捉えることもできる。しかしカトリックは553年の第2コンスタンティノポリス公会議で輪廻転生を否定した。教会組織自体が救いの当事者になろうとしたためだ」。
しばらく続いた彼のカトリック教会史論は省く。
「輪廻転生の思想と構造は世界中で観察される。アジアにおいては」と陰陽図を紙に描いた。
中国の道教ですね。
「それは近現代でも繰り返し登場する。フロイト派精神分析もこの視点から考えてみれば、イエスは個別の肉体性から離れた存在だと見なせないか」。
ユングの集団的無意識もそうです。
「ではルドルフ・シュタイナーは今まで語ってきたような作用因たる非物質的存在をどう呼んだか?」
アストラル体(精神体)です!
「未発達の子供はよく霊を見るが、彼らは受肉していないアストラル体を見ているのだ。なぜわれわれがビオディナミに取り組んだのか? 輪廻転生思想に表現されるこの世界のエネルギーと物質の循環という真理をワインにおいて探求するためなのだ」。