歴史、芸術、そしてワインを好む人の集う極上スポット
一般人が大修道院をポンと購入し、アーティスティックに改修して居住。さて、畏れ多いと捉えるか、修道院が売買されるなんて大らかだなあと呆気にとられるか? ともかく、1093年からの歴史を紡ぎ、ワイナリーを併設したフォンフロワド修道院は、多くの訪問客を受け入れる観光施設となった今日においても、まだ正真正銘の個人所有物である。
「冷たい泉(フォン・フロワド)」の名の通り湧き水に恵まれるこの地にある日、つつましく修行に励むシトー派修道士たちが小さな修道院を建て た。豪族から土地を寄進され、村人とともにワイン造りと羊の飼育で生計を立て、気付けば修道士80人、百姓(建前上は準修道士)350人が暮らす大所帯に。余剰の産物を売りさばいて懐が豊かになり、一時は修道士自身も大商人のように豪奢な生活を送っていたという。彼らがうっかり質素倹約を忘れてくれたおかげで、立派な建造物が誕生したことは、後世の人間にとって喜ぶべき結果か。
ただ、最終的に修道院の土地家屋は国に没収。居住者がいなくなった途端、破壊と略奪で荒廃の危機に。そこで奮起したのが、オクシタニー生まれのギュスターヴ・ファイエ氏である。
大地主であり、ブドウ栽培家であり、画家であり、さらには画家仲間の作品コレクターでもあった彼は1908年、国から払下げられた修道院をタイミングよく買い取った。
じつは彫刻を収集するアメリカ人も購入を狙っていたのだが、「地元の宝を余所者に渡すまじ」との郷土愛も背景にあったという。
ゴッホとゴーギャンの作品を収集し、仲の良いルドンには肖像画を描いてもらうほど芸術に通じていたファイエ氏ゆえ、住居を兼ねた修道院の復興にはオリジナリティが光る。ただ外観や内装に手を入れるだけでなく、芸術家を滞在させ制作に没頭できるよう取り計らったのだ。
彼の孫が修道院を引き継いだ現在においても、音楽家が長期滞在して演奏会を行うなど、芸術のパトロンとしての役割は変わらない。
とはいえ、近年で大きく変わった点もある。1998年には1種類しか造られていなかったワインが、今は12種類に。ミサに食事に欠かせない修道院ワインが、訪問客を喜ばせるアイテムとして新たな輝きを見せたのだ。
醸造用コンクリートタンクの壁をそのまま残したショップにはヴァン・ド・フランスの白からAOPコルビエールの赤まで揃う。
オクシタニーでもワインツーリズムがブームとなり、名だたるレストランを巡りつつフォンフロワド修道院に立ち寄る人が増えた。ここで歴史的建造物を見学し、展示されている国家級の芸術作品を鑑賞し、中庭に咲く花を愛で、最後にショップで試飲しつつワインを購入。時代の流れを五感でしかと受け止められる、稀少なスポットなのである。