そのボルドーワインは「シャトー・アンジェリュス」
目利き、パトロン、偏愛、畏敬。英国とボルドーの関係は深い。英国にとってボルドーワインは、フランスのものであって、英国のものでもある。
1152年、ボルドーを治めていたアキテーヌ公国の侯爵夫人が結婚した相手がのちのイングランド王ヘンリー2世。ボルドーは12〜15世紀の長きにわたり英国領となった。
英国の冷涼の中では当時造れなかった見事で魅惑的なワインがある。英国にとってボルドーは、経済の面でも、人生の喜びの面でも宝物となった。
「007/カジノ・ロワイヤル」。 ダニエル・クレイグ版ジェームズ・ボンドにおいて、その後、「運命の人」として彼にとっての重要人物となる、エヴァ・グレーン演じるヴェスパー・リンドとのお互いを探り合う会話。
そこで重要なアイテムとなったのがボルドーワインだ。物語の中心となるモンテネグロのカジノへ向かう豪華寝台車のレストラン。二人の会話は、緊張感はあるが饒舌。グラスのボウル部分に愛銃ワルサーPPKのトリガーを持つ時のように人差し指をかけるボンド。
赤ワインを口に含むごとに会話は次第に早くなり、高まっていく。その二人の真ん中にあるワインボトル。描かれているのは鐘。戦いの合図か、二人の胸の高鳴りか。
そのボルドーワインは「シャトー・アンジェリュス」。サン・テミリオンで、4つのシャトーしか格付けされていないプルミエ・グラン・クリュ・クラッセの名門だ。
鐘のデザインは、素晴らしきワインが生まれるブドウ畑を所有していたという宣言。マズラの礼拝堂、サンマルタン・ド・マズラ教会、そしてサン・テミリオン教会の3つの教会の鐘の音を同時に聞くことができるこの場所は、サン・テミリオン随一の宝の丘。
素晴らしい土地で作られるブドウから生まれた珠玉のワインであることを端的に教えてくれる。現在、メルロー種に適した土地とカベルネ種に適した土地を均等に所有し、それぞれをバランスよくブレンド。
さすが最上級格付け、サン・テミリオンの土地と太陽の凝縮感、エレガントでクラシック、そして強く、しなやか。その魅力を存分に堪能できるワインで、真の魅力は50年先に訪れるとも聞くが、若くして飲んでこその魅力にも溢れる。
今のチャーミングさとその先のダンディズム。06年、「カジノ・ロワイヤル」での007デビューから10年。苦悩と別れ、再出発を経たボンドに期待したいが、この時のボンドもまた魅力的なのだ。
このワインに食事は何が合うと思う? と聞くボンドにヴェスパーは答える。「ラム料理」。出会ってから2人が同意したのはこれが初めて。でも一言加わる。
「串ざしで」。刺激的で皮肉なセリフだがこちらは素直に受け取ろう。通常のフレンチの王道を行く子羊の料理ではなく、クミンやクローヴなどもふんだんに使われたエスニックなラムの串焼きを合わせてみたい。その欲望に胸の中の鐘が鳴り始める。
シャトー・アンジェリュス2014
[地域]ボルドー/サン・テミリオン
サン・テミリオン プルミエ・グラン・クリュ・クラッセA
[品種]メルロー、カベルネ・フラン
マズラの礼拝堂、サンマルタン・ド・マズラ教会、そしてサン・テミリオン教会の3つの教会の鐘の音を同時に聞くことができたことに由来し、「教会で鳴らされる祈りの鐘」という意味の名前を持つシャトー・アンジェリュス。サン・テミリオンで有名な粘土質石灰岩の土壌と、砂や砂利が多く含まれる土壌の、2つの場所に畑を所有。1996年に第一特別級Bに認定された以降、第一特別級Aの実力を持つシャトーとも言われたアンジェリュスが、2012年に行われた格付け見直しの際に、見事第一特別級Aに昇格。