仲田さんは学生時代にレストランでアルバイトをしていてワインと出会い、95年に渡仏を決意。当初の目的は「たくさんのワインを味わい尽くすこと」だったという。フランス語を学びながら、ブルゴーニュ中のドメーヌ巡り。それは今でも続いている。「ブルゴーニュには4500の造り手があるといわれていますが、この25年間で2700軒くらい回りましたかね」と仲田さん。
やがて興味は造りのほうへと傾き、いくつかのドメーヌで醸造の研修。1999年にはモメサン社の契約社員として輸出部に配属され、同社がモレ・サン・ドニ村に所有する特級畑のクロ・ド・タールで、当時の醸造責任者だったシルヴァン・ピティオさんから指導を受けることも叶った。そして、翌2000年、仲田さんはついに自身のワイナリーを立ち上げた。それが「ルー・デュモン」。閉鎖的なブルゴーニュにおいて、東洋人運営のワイナリーという新しい挑戦だ。
このルー・デュモンという名前にも理由がある。最初は本名の「ナカダ」にしようとしたが、日本的な名前では営業的リスクが大きい。それでフランスっぽい名前にした。ルーはフランスに来て世話になった人の娘の名前。デュモンは山の意味。故郷岡山の備中松山城が、海抜430メートルの臥牛山に佇む山城であることから思いついたという。
6アイテム、2400本で始まったワイン造りは、現在、22アイテム、7万5000本まで増えた。その多くは買いブドウや買いジュースによるものだが、2012年から自社畑も所有し始め、現在、合計2ヘクタールのブドウ畑から7アイテムのドメーヌものも醸造する。
仲田さんの造りはポリシーがはっきりしている。「天地人」と書かれたオレンジラベルのネゴシアンものは、村名アペラシオンとしての特徴を尊重し、たとえ単一区画のものでも原則として区画名は入れない。
そして仲田さんがレストランで働いていた時に抱いたイメージに、忠実な形で仕上げる。例えば、シャープでエレガントなピュリニー・モンラッシェは一切新樽を使わず、ふくよかでナッティなムルソーには約60パーセントの新樽をあてがうといった具合だ。
一方、白いラベルの貼られる自社畑のドメーヌものは、小さな区画の個性も表現し、ブドウ栽培は有機農法をとっている。有機認証は得ているが、それをラベルには表記しない。
「2004年からワインの嗜好が変わりました」という仲田さん。以前は濃厚で力強いワインを好んだが、30代になって濃いワインを受け付けなくなった。それにともない、自分が造るワインのスタイルも変化したという。今、仲田さんが造るワインからはフィネスが感じられる。