ロバート・モンダヴィの助言
1958年の某日。カリフォルニア大学バークレー校の学生であり、のちにワイナリー創業者となるビルは、ナパのワイナリーに初めて足を運んだ。理由は単純、「ワインをタダで試飲できる夢のような場所」と聞いたから。
しかしすぐ、ビルはタダ酒だけでなくワイン造りそのものに惚れ込んだ。
自然豊かなナパの地で、その自然とリンクする農作物を扱う仕事にロマンを感じたのだ。
「いつか自分もナパでワインを造ってみたい」と願ったビルは1979年、サンフランシスコの不動産業が軌道にのり、ついにナパのゴルフ場跡地を購入。しかし、ゴルフ場をブドウ畑へ転換する気満々のビルに、待ったをかけた人物が現れた。
ナパワイン界のレジェンド、かのロバート・モンダヴィである。
なにも、ロバートはビルのナパ進出を妨害したかったのではない。
「ナパには、このゴルフ場跡地よりも優れた畑がある」とビルに助言しつつ、「その代わり、ナパには優れたリゾート施設がない。生産者たちのコミュニティ・スペース、さらにはオスピス・ド・ボーヌのようなオークションの会場にもなりえるほどの施設がほしい」と相談をもちかけた。
翌年、ビルはロバートに誘われてボルドーとブルゴーニュへ旅をし、名だたる造り手を訪問。上質な畑の多くはゴルフ場のような平面でなく丘陵地の斜面に広がっている事実を目の当たりにし、数世代先まで考慮してワインを造る生産者たちの時間感覚にも衝撃を受けた。オスピス・ド・ボーヌにも寄り、慈善オークションの意義を知った。
ロバートが目指すナパの未来像は、フランス旅行を通してビルにきちんと伝わったのだった。
さて、ビルの名字がハーランであると知れば、「あの最高級ワインのハーランか!」とピンとくるはず。結局のところビルは、ゴルフ場跡地を畑にせず、ホテル併設のリゾート施設「メドウッド」を設立。ミシュランの星付きレストランを抱え、ナパヴァレー・ヴィントナーズ(NVV)主催の慈善オークションが毎年開催される格式ある場となった。
ハーランという名のワインについては、ここで語るまでもあるまい。森林だったオークヴィルの丘陵地を開墾して畑を拓き、1990年物からリリース開始。以来、入手困難なカルトワインのひとつとして、不動の人気を誇る。
ビル・ハーランの「200年計画」
ハーラン・エステートのディレクター、ドン・ウィーヴァーは、オークヴィルの畑を整地し始めた初期からビルとともに歩んできた。東京で7月に行われたテイスティング・セミナーに登壇した彼は、あらためてビルの功績を振り返りながら、こう付け加えた。
「本当は、1985年からハーランのワインは造られていたんです。でも、ワインにテロワールがきちんと表現されるまで待つ道を、ビルは選びました。畑を購入してから最初のハーラン・ワインが世間にお目見えするまで、結局12年かかった。ビルにとっては、ワイン造りが最終目標でなく、人の心を動かせる芸術のような何かを求めていたんですね」
ドンとともに来日したフランソワ・ヴィニョオ曰く、「ハーランは『200年計画』ですべてを進めてきました。この計画は、フランスの造り手のように、一世代で終わらない未来を見据えています。そのためにはまず、正しいエリアを選ぶことは絶対条件でした。
オークヴィルに探し当てたハーランの畑は7種の地層が入り組み、馬蹄型の地形で斜面の向きもバラバラ。そこに、ボルドー系4品種のブドウが栽培されています。多様な土地と品種をまとめあげ、収穫年ごとにひとつのムードを造りだす様は、まるで異なる楽器をまとめて演奏される交響曲のようですね」
ロバート・モンダヴィに導かれ、フランスにインスパイアされながらナパらしさを確立。ロマンあふれるハーランは入手困難なれど、人生で一度は口にしてみたい。