日本酒の酵母を使ったチリの白ワイン
名醸造家パスカル・マーティ氏の新たな作品。その名は「ぎんの雫 Goutte d’Argent」。日本酒と白ワインのハイブリッドで、ワインの中に日本酒の命が宿る。その日本酒の命はチリのテロワールによって育まれたブドウに触れて華開く。宿り、華開いている「日本酒の命」とは、酵母である。
バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社に入社後、「ムートン」、「オーパス・ワン」にかかわり、1996年からはチリにて「アルマヴィーヴァ」のコ・ジェネラル・マネージャー兼醸造家に就任。その後、自らのワイナリー「ヴィーニャ・マーティ」を立ち上げた。ボルドーとナパでの経験をチリで発揮し、デイリーレンジから、チリのテロワールと五大シャトーの哲学を融合させたプレステージまで、多彩なワインを生み出している。その氏の新しい挑戦がこのワインだ。
概要を書けば、「清酒用の7号酵母を用いた、チリ・レイダヴァレー産ソーヴィニヨン・ブランの超低温発酵白ワイン」。
さらにわかりやすく書くと、「日本酒の味わいの決め手となる酵母を使ったチリの白ワイン」ということになる。
最近では、日本酒を白ワイングラスで飲むことや、フレンチやイタリアンで日本酒をペアリングさせるなど、日本酒とワインの世界はかなり近づいているが、そういったスタイルの話ではなく、ワインそのものと日本酒そのものが融合したという点で面白みがある。その背景には、氏が長年目指していたワイン造りの「ある」狙いと、偶然とも運命ともいえる出会いがあった。
氏は白ワインの低温発酵について長年、白ワインの魅力となるアロマは、できる限り低温下で発酵を行うことで引き出せると考えていた。
「ワイン醸造の過程で、温度上昇により多くのアロマは揮発してしまう。特にソーヴィニョン・ブランのようなアロマティックな品種ほど本来の魅力が失われてしまっています」
しかし、氏が目指すような超低温発酵に適した酵母は、研究と探求を重ねたが、見つけることができなかった。仮説で終わってしまうだろう、と実現は半ばあきらめていた。
ところが思わぬ人との出会いが奇跡を生む。
氏は2010年から毎年来日し、日本酒の魅力にほれ込んでいた。特に吟醸酒や生酒の繊細なアロマと味わい。そのうち蔵元との交流が始まり、そこで日本酒の酵母、醸造法と出会う。
「真澄酵母」が白ワインの低音発酵の常識を変えた
そこには想像を超える世界があった。ワインでは、アルコール度数13度あたりまでもっていくのに発酵温度の下限は12℃とされていた。日本酒はこれをはるかに下回る5℃の発酵温度で20度近くまで届くアルコール度数を実現している。ワインの常識では測れない衝撃が氏を突き動かした。
使用された7号酵母は別名「真澄酵母」。下諏訪の宮坂酒造の「真澄」から分離されたものだ。
名醸造家がたまたま出会った日本酒の酵母を白ワイン造りに使用したということではない。氏にとってはもともと温めていたアイディアだった。あきらめかけていたワインを造るための酵母が慎重に選ばれた結果だった。伝統ある日本醸造協会の外国人初の正会員となったのも日本酒への愛と、酵母を安定的に確保するという長期的なヴィジョンのため。単にスタイルではなく、ワイン造りの情熱ゆえだった。
テイスティングすると、チリのソーヴィニヨン・ブランに、残念ながらありがちな過剰なハーブや単調な柑橘感とは無縁で、白や黄、ピンクの花が静かに咲き、そこからしっかりとしたアルコールの厚みも現れてくる。ほのかで、でもドライな甘みはどこか吟醸酒を思わせるが、やはり瑞々しい冷涼なチリの白。
日本の酵母がチリワインの魅力を改めて教えてくれるという感慨。和食、ちょっと質のいい酒と料理と、しつらえのいい酒場で試してみたい。