伝説 × 愛情
1本のメルローの木から始まった伝説は 愛情あふれるブドウたちの楽園へ。
リビング・レジェンド
麻井宇介こと浅井昭吾さんとメルシャンの手による「桔梗ヶ原メルロー」の成功を我がことのように喜んだ人がいる。『五一わいん』代表、林幹雄さんだ。
今年(2018年)で89歳。言葉も快活で意気軒高。とてもその年齢とは思えないが、「戦前(第二次世界大戦)はこのあたりだけでも葡萄酒を造っていたのは25社もあってね。それがどんどん減って……でも今はうれしいことにまた増えてきたんだよ」といった話をお聞きしているうちに、やはり歴史の重みを感じてくる。
林さんは2代目。最初にこの地で畑を開き、ワインを造りはじめたのは、お父様の五一さん。大正8年に、ラブルスカ種と呼ばれるアメリカ原産のブドウを植え、早くも欧州系のブドウにも挑戦した。
「それが、ぜんぜんダメでさ(笑)」と林さんは明るく笑うが、この最初の挑戦がのちの伝説へとつながっていくわけだ。
「そのあとはまあ、ワインが売れる時代が来て、この辺の人たちはみんな潤ってた。でも戦後は、砂糖と色素を入れてアルコールを加えたみたいなワインばかりになって、この辺のワインは売れなくなっちゃってね。もううちもダメかもというところで、欧州系のブドウをやってみようと思ったんです。それで山形の赤湯から1本だけメルローの木を持ってきてね。それを試しました」
1951年。もう赤湯のどこだったかの記憶も曖昧という林さん。その1本はここで生き抜くためにつかんだ弱々しい藁のようなものだったのかもしれない。このメルローを大切に育てた。
当初は桔梗ヶ原の寒さに耐えられず実を結ばなかった。凍害、病害虫との終わりなき戦い。でも諦めたら終わり。独創的な発想と手間を惜しまない努力で辛抱強く育てた。それは弱々しい希望だったかもしれないけれど、それでも信念があった。そのうち、温暖化に伴う気候変動も追い風となり、メルローと努力はともに実を結んでいく。
その時ウスケさんが現れた
その辛抱の時に現れたのが「ウスケ」さんだった。彼も同じ課題を持ち、桔梗ヶ原で日本のワインを変えるために何をすべきかを林さんに相談に来た。答えはシンプルだった。林さんは言った。
「ここにメルローがあるよ」
ウスケさんは思い切って6000本のメルローを栽培することを決断し、生産農家に栽培転換を依頼する。
「あの方も会社を説得するのも続けるのもきっと大変だったと思うんですよ。辛かったでしょう。だからあのワインが評価を受けたと聞いて本当にうれしかった……」
同時に林さんが手掛けたワインも成功をおさめ、ここから親子が賭けた桔梗ヶ原メルローは世界へと広がっていく。最初に植えてから25年が経っていた。1本のメルローから始まった物語。よく諦めませんでしたね、と聞くと意外な答えが返ってきた。
「正直、あと2年ダメだったら諦めてたかもしれないですよ……」
奇跡じゃない。信念、努力、我慢。そこに天命がやってきたのだと思う。
この話を聞いてから畑に出た。林さんが手掛けるワイン畑は、ストイックというよりもなんだか心優しい空気と時間を感じさせる。アメリカ系のブドウから生まれたワインも、貴腐ワインも林さんの自慢。
世界の扉を開いたメルローはもちろん大事だけれど、「どうです? このコンコード。2017年、良かったと思うんだ」とこの地にずーっとあって自分たちを支えてくれたブドウたちも大切な宝物。
「だって、うまいじゃないですか」
引き込まれるような素敵な笑顔だった。
林農園/五一わいん
長野県塩尻市宗賀1298-170
www.goichiwine.co.jo
※ワイナリー見学については直接お問い合わせください。