バーリ、大阪
私の故郷はプーリア州の州都バーリですが、ロータリーの交換留学生として、京大にきてから、もう50数年間、日本が拠点です。私は400年あまりの歴史がある弁護士の家系なのですが、民事が専門。刑事事件をしたかった為、父と対立して、仕送りを断たれ、日本でビジネスに本腰を入れ、成功しました。その頃はまだ、日本に外国人が珍しいくらいで本物のイタリア料理屋もなかった。靴や洋服の輸入もやっていたので、自分が食べるための食材をあわせて輸入するようにして、1982年、看板もない小さなレストランを造ったのがコロッセオの原型です。98年にはイタリア政府公認のレストランとして、ローマで大統領から記念の盾をもらいました。
コロッセオが評判になって、ここで使っている食材を売って欲しいという話から、食品、ワインの卸や販売も長くやっていますが、イタリア中からブランドバリュー、コストパフォーマンスが高く、美味しくて、レーベルがべっぴんさんの食品、ワインを輸入していますから、プーリアのものばかりを輸入しているわけではありません。でも、プーリアのものが多いのは、プーリアの食が豊かだからです。イタリア南部で最大の州で、830㎞くらいの海岸線があり、海のもの、丘のもの、両方得意です。オリーブオイルはイタリア最大の生産量。小麦、乳製品、探せばなんでもあります。ローマ時代にはローマの食料庫といわれていました。
プーリアには日本にないものがたくさんあります。私のバーリの家は海のすぐそばで、ヨットハーバーで食事をしたり、そこで30年ぶりの友達と偶然会ったり。大阪や東京では、そうはいかないですね。友達と会うのも、皆色々な事情があって大変だし、ヨットクラブみたいなところがない。海にいくにも車で30分とか。昔は、浜寺のちょっと先でチンチン電車をおりたら、目の前が砂浜だったのに、数年後にいったら全部コンビナートになっていた、なんていう経験もあります。
ただ、私は日本の「住めば都」ということわざが好きです。故郷に住めないからしあわせじゃないなんていうのはバカらしい。自分を追い込んでどうするんですか。好きなところに住めばいいんです。大阪はバーリじゃないけれど、歴史があり、街の色がある。よそから来た人も大阪の色に染める力があるから好きです。福岡も好きです。それはバーリと似ているから。18年間、福岡でもコロッセオをやっていました。05年の福岡県西方沖地震で店内が解体屋が来たみたいに壊れてやめてしまいましたが。
今日死んでもいいように現在を生きて、自分は永遠に死なないとおもって未来を考える。それが私の生き方です。今、私は76歳ですが、淡路島で三千本のオリーブを育てています。樹はまだ5歳。10年から15年がかりの企画です。
好きなワイン?
私が好きなワインですって? それって、日本の女性がいいかイタリアの女性がいいかってきいているのと一緒で、バカな質問ですよ! 自分が美味しいとおもうものはすべて美味しいんです。
プーリアは、フルーツも豊富で、気候がブドウ栽培に適しています。私もバーリから35㎞ほどのルーヴォ・ディ・プーリアというところに畑を所有しています。そのブドウは組合に売って、ワインにしてもらっていて、コロッセオで飲めます。
プーリアの品種といえば、ネグロアマーロとプリミティーヴォ。強いワインです。知られていないのは、ネロ・ディ・トロイア。トロイの木馬の話、知ってますか? あの戦いでやぶれたエネア(アイネイアース)は、トロイアから逃げるのですが、ギリシャを避けて、プーリアについて、そこに持ってきたすごく美味しいブドウが、トロイの黒いブドウという意味で、ネロ・ディ・トロイアと呼ばれている、という説があります。かつては高いアルコール度数など、強いワインを造るブドウで、トスカーナやフランスのワインに混ぜていたんです。
私は自分の畑のネロ・ディ・トロイアでワインを造っています。ネロ・ディ・トロイア100%のワインを造ろうと私が言い出したときには、そんなきついワイン、いまは誰も飲まない、と抵抗をされたのですが、お金は私が払うんだから、と造って、改良に改良を重ねてすごく美味しいワインが造れるようになりました。いまは、プーリアではどこでも造るようになっています。
大事に飲みすぎないこと
ここはいまも私が食べるレストラン。昼も夜もコロッセオで食べます。私は、イタリアの文化を大勢の人に伝えたいから、料理がちょっとで、ベラボーに高い店では意味がない。店が食べさせたいものを出すようなレストランも好きじゃないんです。好きなものを食べる。ワインも、大事に飲みすぎない。
日本の人は飲むと食べない。でもそれだと気分悪くなるのはあたりまえじゃないですか。ワインは食べ物とあわせて頂くのがなにより大事なんです。