もともとワインを造る人ではなかった
最初から個人的な感想で恐縮だけれど、この世に素晴らしいシャンパーニュは数あれど、アンリ・ジローのシャンパーニュほど樽というものが好ましくおもえるシャンパーニュには出会ったことがない。アンリ・ジローのラインナップのなかでは価格的にもトライしやすい、「エスプリ・ナチュール」にしても、その出来栄えには舌を巻く。
なにより衝撃的なのは、これを生み出したハンサムな醸造家が、なになに大学で醸造学を学び、どこそこのメゾンで何年キャリアを積んで……といった背景を持たないことだ。
アンリ・ジローの醸造責任者にして、メゾンの高評価をさらに高めた人物といえるであろう、セバスチャン・ル・ゴルヴェは、アンリ・ジローのシャンパーニュとおなじく、アイ村の出身ではあるものの、そもそもは建築学を学んでいた。アンリ・ジローで働き始めたのは2000年。最初はパートタイム的な参加だったけれど、すぐさま、先代の醸造責任者にしてアンリ・ジローの現当主、クロード・ジローにその才能を買われ、たった4年で、醸造責任者に就任した。それってずいぶん、異例のことにおもわれますが……
「建築とワイン造りはまるっきりおなじですよ……まるっきりっていうのは言い過ぎかな」とセバスチャンは、笑う。
セバスチャンがなぜアンリ・ジローで働きはじめたかといえば、クロード・ジローには娘がふたりいて、そのうちの妹のほう、医者であるアンとセバスチャンが結婚したからだ。つまり、フランソワ・エマールという人物を祖として、1625年にその原点は遡るアンリ・ジローは、19世紀にエマール家の10代目、マドレーヌ・エマールがレオン・ジローと結婚して、その息子、アンリ・ジローがメゾンを引き継いで……という歴史をもつわけだけれど、名字はちがえど、セバスチャンもまた、ジロー家の人間なのだ。
「フランソワ・エマールから数えると、僕は13代目ということになります。僕には子供が3人いるから、14代目も問題ないですね」
しあわせそうだ。セバスチャンのような人物がやってきたら、ジロー家もさぞ、ハッピーであろうとおもってしまう。才能があって、立ち居振る舞いはエレガントで、嫌味がなく、勤勉だ。建築にかんしても、かなり優秀な人物のようで、現在のアンリ・ジローのセラーはセバスチャンがデザインしたモダンなものだ。