アドリア海の真珠
私がクロアチアという国を初めて意識したのは、旅仲間が集まるパリでのパーティだった。蒼く輝くアドリア海に1,000を超える島々が点在し、手つかずの自然と中世を思わせる古い街並み、なによりも抜けるような青い空とどこまでも透き通る海、さんさんと降り注ぐ日差し。旅
慣れたヨーロピアンに「今、一番行きたいリゾートは?」と聞くと、必ず名前が挙がる国。それがクロアチアだ。
クロアチアは1991年、ユーゴスラビアから独立。その後、1995年まで続いた内戦を思い出す人も多いかも知れない。そもそも東欧の国と「リゾート」のイメージはなかなか結びつかないが、実はクロアチアの海岸はイタリアの対岸に位置し、建築から食文化まで、ヴェネチア王国の影響を色濃く受けている。
クロアチアはひとりあたりのビール消費量では常に世界のトップ10に入るし、人々の集まりには「ラキア」と呼ばれるフルーツブランデーも欠かせない。でも、食事のテーブルには常にワインがあり、ヨーロッパの一人当たりワイン消費量で見ると、フランスやイタリアを抜いて堂々の3位
という酒飲み大国でもある。
ジンファンデルの故郷
クロアチアにおけるブドウ栽培は、紀元前5世紀にまで遡る。アドリア海に浮かぶ島に残されたコインには、アンフォラと呼ばれる醸造用の甕とブドウが描かれていたという。その後、オスマントルコの支配下に入っても司祭や修道士がワイン造りを継承し、ハプスブルク帝国支配下に入るとドイツ系品種が主流となり、ユーゴスラビア体制下では協同組合中心に旧ソヴィエト向けの大量生産型ワインが多く造られるようになる。
歴史とともにさまざまな変遷を重ねてきたクロアチアのワインはこれまで、国内消費が中心だったが、2013年のEU加盟以降は、世界
市場を意識したワイン造りが盛んになっている。
クロアチアワインが世界に打って出る最大の武器は何かと言えば、多彩な土着品種だろう。約130種の土着品種は、聞き覚えのないものばかり。何より字面を見ただけではどう発音していいかわからないものが多いのだが、世界的な「土着品種回帰」の流れに加え、クロアチア南部ダルマチア地方の土着品種である「ツェリエナック・カシュテランスキ」がジンファンデルと同種であることがDNA鑑定でわかったことで、脚光をあびるようになった。
品種別栽培面積のトップは白品種の「グラシェヴィナ」、2位は赤品種の「プラヴァッツ・マリ」、3位に白品種の「マルヴァジア」が入る。この3品種で43%を占め、メルローやカベルネ・ソーヴィニヨン、シャルドネといった国際品種はそれぞれ4%程度しかないという土着品種天国。それがクロアチアだ。
ワイン通をわくわくさせる発見の旅へようこそ!
風と海のワイン
クロアチアのワイン産地は大きく、大陸東部、大陸西部、沿岸部に分けられる。沿岸部に位置するダルマチア地方の北部ザダールは中世の建物を残した港町で、日本へ輸出される本マグロのほとんどがこの地で養殖されたものだ。
海岸部には風と波が幻想的な音楽を奏でる「海のオルガン」があり、多くの人が訪れる。 アドリア海を臨む高台にある「ロイヤルヴィンヤード」のブドウ畑のキーワードもまた、「風と海」。
ブラと呼ばれる冷たい北風とユゴと呼ばれる暖かい南風が1日を通して畑を吹き抜ける南向きの高台で、ブドウは波の音を聞きながら育つ。ブドウ樹の樹齢はまだ若いが、畑の歴史は1066年にまで遡る。この地のポテンシャルに気づいたクロアチア王国の国王が、ベネディクト会に畑を寄贈。その後、修道女
が畑を広げ、優れたワインを作り続けて来た。だが、第二次大戦後は国の所有地となり、ワイン造りの歴史は途絶える。
そして2009年、「土地のワインを復興させたい」という思いを共有する2人のオーナーが、この荒廃した土地を購入し、こつこつと畑を整備。古くからこの地で親しまれて来た土着品種を植樹した。
歴史への敬意を込めて「ロイヤルヴィンヤード」と名付けたワインが初めてリリースされたのは2011年のこと。ラベルにも王冠とワイングラスが、波の文様とともに刻まれている。