05 Vinhos Norte(ヴィーニョス・ノルテ)
世界で勝負する3代目
3代目のヴィトル・マニュエル・リマ。ポルトガル王国発祥の地ギマランイスの街にて。
ヴィーニョス・ノルテは1971年、ポルトガル王国発祥の地ギマランイス北郊にリマ家が創業した。
200ヘクタールのブドウ畑を所有するが自社ブランドのワインとなるのは全体の半分以下、家族経営としては大手だが全体から見れば中の小サイズの生産者だ。2007年に経営に加わった3世代目ヴィトル・マニュエル・リマは「これからはポルトガルを飛び出して世界で勝負」と意気軒高だ。
ノルテのヴィーニョ・ヴェルデは爽やかな香りと軽快さを追求し、アルコール度数は9%前後とワインだけでも楽しめ輸出市場でも人気が高いと聞いて納得。
12世紀にこの地にワイン造りを伝えた修道僧に敬意を表したブランド、タパダ・ド・モンジェスのロウレイロは黄色い果実やクチナシの白い花を思わせる豊かな香りを持ち口中でも豊か。
ヴィトルの前向きさとワインの味わいに、そう遠くない日に自園のブドウがすべて自社ブランドのワインなるだろうと感じた。
06 Adega Ponte de Lima(アデガ・ポンテ・デ・リマ)
ふたりの女性が率いる大手協同組合
ポンテ・デ・リマのワインに輪郭と色彩を与えた醸造家のリタ・アラホ。
共同組合ポンテ・デ・リマはヴィーニョ・ヴェルデ最大手のひとつで、組合員は2000軒の栽培農家。この大手を率いるのは、ふたりの魅力的な女性だ。リスボンで会計士として働いたのち、故郷に戻り代表となったマリア・セレステと、地元出身の醸造家のリタ・アラホ。
若きリタを統括醸造責任者につぐ実務の責任者に指名したのがマリアだ。
日々の管理をきっちりこなすリタをえて、ポンテ・デ・リマのワインは変わった。世界がモノクロからカラーに変わったごとく、くっきり鮮やかな輪郭をもつワインとなった。
ポンテ・デ・リマはローマ時代にリマ川にかけられた橋の一部が今も残る古都にしてサブリージョン・リマの中心地。その町の名を抱くポンテ・デ・リマのロウレイロはオレンジの花やシトラスの香りと味わい、軽快な酸味を持ち、涼やかでもある。古都のしっとりした華やかさを表現したワインだ。
07 Casa de Vilacetinho(カーサ・デ・ヴィラセティーニョ)
魚料理のためのワイン、アヴェッソ
20代半ばの若さでディレクターをつとめるジョアン・ミゲル・マイヤ。
ポルトの南西、サブリージョン・アマランテのドウロ河を見下ろす小高い丘に、マイヤ家が所有するヴィラセティーニョがある。
ディレクターのジョアン・ミゲル・マイヤは、内陸で寒暖差のあるアマランテ地区には、ロウレイロではなくアヴェッソとアリントに向くという。北のサブリージョンでは酸が強く、時には痩せたワインとなる両品種に、ここではほどよく果実味が加わる。
おわりに
ポルトガルはステキだ
ヴィーニョ・ヴェルデの産地ミーニョ地方には、史跡や古い町並みが残る古都が散在する。
初代ポルトガル王となるアルフォンソ・エンリケスが産まれたギマランイスは、ポルトガル発祥の地と呼ばれ、旧市街はユネスコの世界文化遺産に指定されている。
ローマ時代の橋の一部が残るポンテ・デ・リマは、リマ川添いに散策したい。
ポンテ・ド・リマ(リマ橋の意味)、左手の緑の河岸部分の橋はローマ時代のもの。
リマ川河口のヴィアナ・ド・カステロ(冒頭の写真)はリマの女王と呼ばれる美しい町。
リマ川の早朝、海の冷気が霧を生む。
世界中から観光客が集まるポルトについては言うまでもない。ポルトを観光し、さらに美味しいワインを探してヴィーニョ・ヴェルデの生産者を結ぶヴィーノ・ヴェルデ街道を辿りながら古都も訪ねる。これこそ、ミーニョ地方を存分に楽しむ旅のスタイルだ。
問題は食べ物が美味しすぎること。ミーニョの人たちは日本人同様に魚の扱いに慣れていて、新鮮な魚料理が楽しめる。お米料理も大好きで、タコご飯、鴨ご飯とお代わり必至のお米料理も少なくない。
気どらない美味しい料理にヴィーノ・ヴェルデ、最高の組み合わせを現地で確かめてみませんか。