公共性の高いワイナリー
メディア向けのテイスティングイベントでは、ワインを飲む前の、あるいは飲みながらの、ワイナリーやワインの説明がつきものだけれど、信州たかやまワイナリーの説明は、同社の代表取締役 涌井一秋氏による「高山村のワイン振興について」という話から始まった。そのとき使われたスライドの署名は「高山村産業振興課農政係」。つまり高山村役場によるプレゼン資料だった。
信州たかやまワイナリーの代表取締役 涌井一秋氏
高山村は、日本のワインブドウ名産地だ。年間降水量が850mmと少なく(気象庁のホームページによれば、たとえば東京のそれは1528.8mm)、日照時間は長い。土壌は近隣の白根山の噴火に由来する火山灰土と洪積層砂礫質土壌からなり、水はけがよい。畑の標高は400から850メートル。年間の平均気温は11.8度と冷涼だけれど、年間最高平均気温21.4度、最低平均気温-3.8度と寒暖差は大きい。つまり、くだものを育てるのに向いている。
スライドには、高山村産の、特にシャルドネを使ったシャトーメルシャンやサントリーのワインの国内コンクール、国際コンクールでの金賞獲得履歴が列記されていたのだけれど、国内で5つ、国外で8つの金賞受賞ワインが載っていた。
この優れたブドウ造りを、村の産業の起爆剤にしてゆこうではないか、というのが、信州たかやまワイナリーへと至る道の起点だ。
2005年に村では「高山村ワインぶどう研究会」という、高山村にワインを根付かせることを目的とした会が発足した。とはいえ、この当時は、村のワインブドウの栽培面積は3.1haに過ぎず、専業農家はたった3人だけ。それが、ブドウの質、量の向上のための農業振興はもとより、醸造技術、酒税法の勉強会、ワイン文化を育てるためのイベントの開催などPR活動まで、ワインをめぐるあらゆる分野におよぶ会の活動の結果、2016年に栽培面積は40haに、専業農家は19人にまで増えた。いまは50haに20人という数字なのだそうで、もはや、高山村でワインブドウづくりを始めたくても土地がないような状況なのだという。会は見事にその役割をはたしたのだけれど、高山村には、そもそも村でブドウをつくって売るだけではなく、自分たちでワインを造るところまでやる、というヴィジョンがあった。
2013年から、会は村にワイナリーを設立するべく、具体的な検討を開始した。2015年、村役場がひとりの専任の職員を雇ったのもその流れのなかの出来事。それが、おもに勝沼で、ワイン造りについての広範な経験を積んだ鷹野永一氏だった。同年、村の12人のワインブドウ栽培農家が、共同出資によって、民間の会社、株式会社 信州たかやまワイナリーを立ち上げる。鷹野氏はワイン専門の村職員という立場から、信州たかやまワイナリーの醸造責任者に転身。2016年10月、免許の問題がクリアになるとすぐさま、8月に完成したばかりの最新のハイテクワイナリーでは、高山村のブドウを使って高山村で造るワインの仕込みが始まった。
このときのワインが、今回、東京 銀座にある長野県のアンテナショップ「銀座NAGANO」にて、メディア向けのテイスティングイベントに出された、ファーストヴィンテージの信州たかやまワイナリーのワインだ。
ナッチョを買いたい
信州たかやまワイナリーのワインは3つの階層にわかれる。価格的にもっとも手頃な「ファミリーリザーブシリーズ」(税込1,620円)、ブドウ品種ごとに商品化する、中核となる「バラエタルシリーズ」(税込2,970円)、そして、現在はまだ存在していない、ハイエンドの「プレミアムシリーズ」だ。
まず、バラエタルシリーズだけれど、2016年ヴィンテージには、白ワインに「シャルドネ」と「ソーヴィニヨン・ブラン」、赤ワインに「メルロー&カベルネ」がある。鷹野氏によれば、初年度ゆえ、ブドウのポテンシャルを見定めようと、いずれも凝ったテクニックは使っていないというこれらのワイン、アルコール度数が低い飲みやすいワインで、「バランス良くまとまっていて、雑味のないワイン」を目指したというけれど、それは実際そのとおりだった。ただ、「メルロー&カベルネ」(カベルネは基本的にカベルネ・ソーヴィニヨンだけれど、ごく僅かにカベルネ・フランが使われている)は7ヶ月間新樽熟成を経ていて、この樽香が強い。白ワインはいずれも、あまり温度を下げすぎないほうが、ブドウの味わいがよくでて美味しく飲める。冷えていると、そもそもが軽やかなワインが軽くなりすぎてしまう。シャルドネにはすこし苦味があり、ソーヴィニヨン・ブランには苦味とレモンのような爽やかな酸味がある。
興味深かったのは、ファミリーリザーブシリーズの「ナッチョ(Naćhoと綴る)」の白とロゼだった。
高山村はブドウの原価が日本一高いと鷹野氏はいい、ナッチョの価格は、ほとんど原価だという。2016年ヴィンテージでは、ナッチョの白を2,000本、ロゼを3,500本造り、4月15日に高山村内の酒屋とワイナリーのみで販売を開始した。結果、人口7,200人の村で、白はゴールデンウィークあけに、ロゼも7月の末には完売したという。それを、村の期待のあらわれだ、と、鷹野さんはいったのだけれど、あえて品種は表示しないというこのミステリアスなワインに、筆者は日本のワインおもしろさを感じた。料理の「さしすせそ」などといわれるバラエティ豊かな調味料や、いろいろな国の料理の要素がまざりあった日本の食、鷹野さんがいうところの「雑多な食」によりそって、柔軟に表情を変え、「いつの間にか一本あいている」という、信州たかやまワイナリーのワインが目指すところを、ナッチョが一番よく体現しているようにおもえたのだ。2016年のナッチョはもう残っていないことは、ちょっと残念だ。来年でてくるナッチョは、白とロゼなのか、というところもふくめて、まだどんなものになるかわからない。
年間生産量70トンを想定した、信州たかやまワイナリーの現在の生産量は、まだ26トン。世界で通用するワインを造る、という大志がある。そのためには、そして、ビジネスとしても信州たかやまワイナリーがサステイナブルであるためには、「バラエタルシリーズ」のさらなる成長と、「プレミアムシリーズ」の登場によるランナップの完成が重要なのだとはおもうけれど、この春、筆者はむしろ、あたらしいナッチョを買いに、高山村を訪れてみたくなった。
ナッチョの値段、もうちょっとだけ高くしてもいいのではないだろうか?