日本とも縁は深い
ジョエル・ロブションが8月6日、逝去したことを、フランスのメディアが報じた。がんを患ってからも、脂や砂糖を減らし、野菜を使った蒸し料理などの健康食を追求することで体調を保ってきたが、膵臓の腫瘍の手術をしてから、この1年強は体調が優れていなかったという。
ジョエル・ロブションは1945年、フランスの西部、ポワチエ生まれ。母親が敬虔なカトリックであった影響からか、12歳で司祭の道を志し、この際、食事の用意を手伝ったことがきっかけとなり、食の道に傾倒していったという。15歳から料理人としての修行を開始し、1974年、28歳でパリ17区のレストラン「コンコルド・ラファイエット」の総料理長に就任。ヌーヴェル・キュイジーヌの黎明期に活躍する。
1976年、フランスの最優秀職人章(Meilleur Ouvrier de France)を取得。1978年、「オテルニッコー・ド・パリ」の「レ・セレブリテ」の料理長に就任し、1981年にミシュラン2つ星を獲得した。同年独立し、パリ16区に「ジャマン」を開店。同店にて、1984年、ミシュラン3つ星を獲得。史上最短での3つ星の獲得として話題になった。
1990年、「ゴー・ミヨー」にて、今世紀最良の料理人と評され、1994年には、ジャマンを移転し、店名を「ジョエル・ロブション」に変更。また同年、東京、恵比寿の「タイユバン・ロブション」をプロデュース。日本のフランス料理界にも多大な影響を及ぼした。1996年、50歳になったのを契機に、現役を引退する。
引退後は、レストランのプロデュースや、TV番組への出演、後進の指導などで活躍し、高級料理だけでなく、専門家でなくとも再現できる、手軽な料理や気軽に楽しめる食の提案も積極的におこなった。その代表的なレシピに「じゃがいものピュレ」がある。また、日本の寿司屋に着想を得たともいわれる、料理人と客との距離が近く、素材にあまり手を加えない料理店を「アトリエ」と称し、そのコンセプトを具現化した「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」を2003年、東京 六本木ヒルズにオープン。同年、パリに「ラトリエ・ドゥ・ジョエル・ロブション」を開店すると、自身も料理人として現役に復帰した。
2018年6月に、日本酒の「獺祭」の蔵元、旭酒造との協業で「ダッサイ・ジョエル・ロブション」をパリに開いたのが、ジョエル・ロブションが存命中に実現した企画の最後となった。