銀座メゾンエルメス フォーラム 8階にて、エルメス財団は、2021年4月23日(金)から7月18日(日)まで、ロンドンを拠点にするフランス/イギリス人キュレーター、マチュウ・コプランによる日本で初の展覧会「エキシビジョン・カッティングス」を開催する……予定だった。しかし展覧会は、4月25日(日)から当面の間、緊急事態宣言を受けて休館。ここでは、再開を待ちながら、会館の直前にプレス向けに開催されたプレスプレビューにて語られた内容を紹介したい。
マチュウ・コプランによる展覧会「エキシビジョン・カッティングス」
銀座メゾンエルメス フォーラムにて
ステファヌ・マラルメは紙の上に文字を散らし、マルセル・デュシャンは便器をひっくり返し、ジョン・ケージは何も演奏されない4分33秒の音楽を作った。
いずれもが、アートだ。あらゆるものがアートだ。そしてあらゆるものがアートであるなら、あらゆるものはアートとして受け入れられるべきだ。だから、あなたが見る、このページもアートであり、このページを見るあなたもアートであり、そして、何かが展示される展覧会も展覧会なら、何も展示されない展覧会も、そもそも閉鎖され、立ち入ることすらできない展覧会も、アートの展覧会だ。
というのは、現在、銀座メゾンエルメス フォーラム 8階にて開催されているはずだった、「エキシビジョン・カッティングス」という展覧会で上映されている「アンチ・ミュージアム:アンチ・ドキュメンタリー」という30分程度のドキュメンタリー映像作品を筆者なりに短く文章にまとめてみたもの。実際の映像のなかでは、アーティストが自らの選択として、活動や展示を「閉鎖した」意図が語られ、その歴史が描かれる。
それは、現在、新型コロナウイルスの影響下にあって、いろいろな活動や集まりの「閉鎖」を選択させられる、我々の状況と符合しているようにも感じられるけれど、話はそう単純でもない。そもそもこの展覧会は2019年に企画されていたものだから、パンデミックの影響は考慮されていなかったし、今回、この展覧会をエルメス財団とともにしかけたマチュウ・コプランは、2016年に「閉鎖された展覧会の回顧展」という、閉鎖された展覧会を集めた展覧会を開催していて、冒頭の「アンチ・ミュージアム:アンチ・ドキュメンタリー」というドキュメンタリー映像は、その回顧展をもとにして造られたものだからだ。
とはいえ「では、まったくパンデミックは無関係か、というとそうでもない。」と画面の向こう、ロンドンにいるマチュウ・コプランは、この展覧会のプレスプレビューにて、報道関係の面々に対してそう言った。
今回が日本で初の展覧会となるマチュウ・コプランは、キュレーターとされるが、展覧会を作品とするアーティスト、といったほうが、その実像に近い。
なにせ、2009年にパリのポンピドゥー・センターで彼が共同キュレーションした展覧会「空虚、回顧展」は、展覧会場が空っぽだったのだから。マラルメが詩の、デュシャンが造形芸術の、ジョン・ケージが音楽の、アイデアそのものに挑戦したように、マチュウ・コプランは展覧会というアイデアに挑戦するアーティストだ。
今回の展覧会には展示物があるけれど、展覧会そのものがやはり問われている。
東京で、自由にならない状況下で、最終的には異国から展覧会をデザインするにあたって、マチュウ・コプランは展覧会とは何なのか、をまたも問うた、という。そして展覧会を展覧会たらしめるには、有機的な営みが必要であり、そこにあるべきは、環境ではないか、という考えに至ったそうだ。
その有機的な営みのある環境は、展覧会のなかに、小さな展覧会を複数つくる、という形で表現されている。この展覧会はミニマルな展覧会のコラージュとして見ることができる。
入り口から先述の、多数のアーティストの証言を集めた映像作品に向かう途中に、スイス人作家 フィリップ・デクローザの絵画作品があり、映像作品そのものも、複合的な作品ならば、その映像作品が上映されている空間と他の空間を分ける行為も、各所に設置された、それぞれ形の違うベンチも、ひとつひとつが作品であり、それらの集合は展覧会である。
そして、もっとも広いスペースには、この展覧会のために作曲された、ミニマル・ミュージックの巨匠 フィル・ニブロックによる音楽が流れ、その音楽は6曲あって、それぞれが違う演奏者によって演じられたものだし、しかもその音をだすスピーカーの台座もまた、それぞれにちがい、銀座メゾンエルメスならではの、広いガラス壁から入る陽光もまた展覧会に作用すれば、陽光を受けて生きる有機物もまた展覧会だ。
有機物というのは、当然、ここに来た人間もそうだけれど、このスペースの中央には、柑橘の木が土に植わっているのだ。この木と土は、日本の、そして世界的な自然農法の提唱者である福岡正信氏の農園、福岡正信自然農園からもってこられた甘夏と土であり、また土には、福岡正信氏が生み出した、様々な種を混ぜた粘土の団子、そのまま「粘土団子」という名称の生命の種も含まれている。展覧会の会期中、ここでは甘夏の木が、そして粘土団子のなかの種子が、生きて育っていくだろう。それはそのまま、複数の有機物の、ちいさな環境だ。
そういった、それぞれが作者も背景も違う複数のものがこの場に存在していること、またキュレーター本人が最終的には現場にこられず、アーティスト 西原尚氏が日本側のホストとして、この展覧会をまとめていったことも、展覧会を有機的な環境としている。
この展覧会のタイトルは先述のとおり、エキシビジョン・カッティングスという。カットとは、映像や音楽であれば編集作業であり、植物であれば接ぎ木であり、展覧会であれば、作品をそれが元あった場所から移動させ展覧会に置く行為だ。それは、過去を別の文脈に置きなおす行為でもあれば、カットの集合体を用いて現在をつくり、未来へのメッセージとする行為でもある。マチュウ・コプランの言葉で言えば、「この有機的な環境は、過去を振り返るものであり、それを未来にどうつなげていくか、フィードバックのループでもある」。
ワインで例えるなら、そもそもブドウ樹は多くの場合、接ぎ木で育てられるけれど、それらブドウ樹が育んだ果実をカットし、まとめあげる行為が、ひとつの展覧会、といえるのかもしれない。
とはいえ、ワインは、芸術作品であると同時に飲み物であり、普通は値段がつけられ、商品としての実態がある。一方、芸術活動、あるいは展覧会を閉鎖するという悩みの根源は、芸術活動が現代において商品としてのありようをもったことに大きな原因があるのではないだろうか。
マチュウ・コプランにそれを問うと、それは問うべき問題であるとしながら、こんな例を挙げてくれた。
「ワインには同じことがいえるとおもいます。私は、少し前にブルゴーニュのワインの造り手の家にステイしていたんです。彼らは自然派のワインを造っていました。それらは、たしかに、現代的で、新しい商品として人気があります。ただ同時に、薬品等を使わないその造り方は、遠い昔のワイン造りに、似たものであるはずです。時代に応じて形を変えながら、受け継がれ、変化し、時としてまた元に戻ったかのようなサイクル。それがこの展覧会においても、またワイン造りにおいても、アートにおいても、本質的なことなのではないか、と私はおもいます。」
マチュウ・コプランは先にはループ、ここではサイクルという言葉を使った。それは、単純に同じものが繰り返す閉じた円環ではなくて、そのなかで、木が育つように、生きていて、変化する円環。アートとは何か? とか、展覧会とは何か? といった問いと答えのサイクル自体を、ここでは、展覧会としている。
さて、開会してまもなく、この展覧会は東京都に出た緊急事態宣言を受けて、閉鎖されてしまった。再開の目処はまだ立っていない。けれども、いずれは、再開されるだろう。その際には、再び、短時間でもいいから、マチュウ・コプランに、この余儀なくされた閉鎖について話を聞いてみたい。
マチュウ・コプラン
「エキシビジョン・カッティングス」
2021年4月23日(金)~7月18日(日)
11:00~19:00(最終入場18:30) 休館日:4月25日(日)~当面の間
入場無料
東京都中央区銀座5-4-1 銀座メゾンエルメス フォーラム 8階
TEL 03-3569-3300
主催: エルメス財団 後援: 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
再開等の最新情報は以下のサイトから
https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/210423/
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