シンデレラストーリー?
百合草梨紗さんは明るい。コロコロ笑って元気いっぱい。
「すごいですね、って人に言われて、はじめて、あっ、そうみえるのかって気づくくらいなんです」
そしてワインに夢中だ。サンテミリオンの街の中心部から東に11㎞ほど、サンフィリップテグイという村にある、1.65haのメルローの畑を、百合草さんと、夫のマチュ・クレスマンさんが買ったのは2015年の11月。2016年の10月10日にそこでブドウを収穫し、約2年を経て、2018年の7月31日に初のボトリングをした。ワインの名はシャトージンコ。ジンコはフランス語で銀杏を指す。3,600本ほどが造られ、日本向けにリリースされたばかり。そのタイミングからちょっと遅れての11月に百合草さんは来日した。
「18年の収穫は9月27日に終わって、そこから醸造で3週間くらい。一区切りついたので、日本に来ました。8歳の長女と2歳半の次女はいま、マチュが面倒をみてくれています」
マチュさんは150年ほどの伝統あるネゴシアンの一家の出身だ。
「そんな家ですから、日本人の私は最初は気後れもしていたんですが、娘が生まれて変わりましたね」
ワインとの出会いは、友人のワインの先生と複数回参加したワインの試飲会。そこで語られ
る話が、最初はわからず、やがて理解できるようになり、ついには独自の感想を抱くようになる、という経験をして、ワインにハマった。
そして、好きなワインがサンテミリオンのものだったので、では、と21歳の頃サンテミリオンへと赴いてしまった。
「最初は4カ月間の、遊学ですよね。朝、語学学校にいって、午後はシャトーでワインに触れる日々でした。その次の年に、ボルドー商工会議所が運営している専門学校で、ワインを流通や商取引のことも含めて学びました。マチュに出会ったのもそこです」
本場の専門学校でカリキュラムをこなすことでも、おそらく若い日本人にとっては、簡単なことではないはずで、さらに、百合草さんは、ワインの判断において傑出したものがあったそうなのだけれど、本人は、そういう自慢話みたいなことはまるっきりいわず
「そのあとインターンでマチュはアメリカに行って、私は日本に帰りました。ボルドーに戻ったのは2006年。当時アメリカでインポーターしていたマチュと、マチュはアメリカ、私は日本と、マーケットの担当をわけてカイワインと
いうワイン会社をつくったんです。それから大体10年が経ったころ、美容院の雑誌で、ドメーヌ・ルロワの記事を読んで、ぼそっと、私もこんなふうにやってみたいな、とつぶやいたら、マチュが、じゃあやってみる?って。それから
畑を探して、ルシン家が丁寧に手入れしていた畑が買えることになって……」
条件のいい畑を見つけるのは苦労した、という。しかし、話だけ聞いていると苦労は共感しづらいものだから、百合草さんの経歴をシンデレラストーリーみたいに受け止める人がいるのもわからなくもない。それで最初の発言になる。
「言われて、そうかって気づくんです。自分はワインの聖地、ボルドーでワインを造っている。もっと可能性がある、頑張らないと。ワインが造りたくてボルドーに行ったわけではないけれど、出会いと縁に助けられて、教わって、いまボルドーで自分が飲みたいワインを造れている」
「ワインって人をつなぐとおもうんです」という言葉が、百合草さんのこれまでをまとめているようにおもう。
自慢のプリンセス
ワイン業界との付き合いが深いマチュ&梨紗夫妻。ボルドー以外の選択肢はなかったんですか?とたずねてみると
「あったのかもしれません。でも、そうならなかった。いま考えれば、ボルドーのワインが好きで、ワインの世界にはいったのに、ボルドー以外でワインを造るというのは、人生として変ですよね」
明確な目標設定をもって、そこに至ろうと悩み努力する、というのはもちろんあるのだろうけれど、百合草さんはおそらく、強い芯のようなものがって、出会いや肌感覚から、ブレることなく自分の行く道を選べるのだろう。その芯の強さは、百合草さんのワインからも感じるのだ。
「もちろん、ワイナリーでルモンタージュやピジャージュ、樽熟成など、仕事はします。でもワインは、私が造っているのではなくブドウが造っているとおもっています。樹の世話は大変で、冬場の剪定なんて寒くて辛くて。でも、一本一本でちがう樹が愛おしくて、そのブドウが造るワインを、私はプリンセス・ジンコと呼んでいます。3人目の娘なんです」
子どもを、王子・姫と呼ぶのはフランスの普通の愛情表現ではあるけれど、シャトージンコのワインは力強くて、むしろ男性的とも評されそうな味わい。でも、お母さんには、ジンコ姫。芯のしっかりした、スケールの大きそうな娘さんだ。
「まだ若くって。飲む一日前にあけるのがいいかもしれません」
オーガニックでやっているのも、認証がほしいからではなく、家族の週末の家でもあるワイナリーの目の前の畑だから、なるべく化学的なものは使いたくない、という愛情の発露。娘たちが口のまわりを紫にして食べるブドウは、皮が厚く、食感はサクサクして、味は濃厚。周囲の畑とくらべても、自慢の果実だ。
「いろいろなワインの造り方のいいとこ取りをして、自分が飲みたいシャトージンコのワインを造らないと、ここでやっている意味がないし、ここでやっているのだから、この場所の味を出したい」
テロワールの表現と、百合草さんのエゴは相反しない。一本一本味がちょっとちがう、というような不安定なワインでもない。土地もブドウも、百合草さん同様、芯が強いのかもしれない。すべてがピタッとはまっている感じだ。
とはいえ、百合草さんの我を通しきったワイン。自信はあっても売れてくれるかどうかは心配なようで
「はじめたものだから伝統にしたい。これから、叩かれることもあるかもしれないけれど、出過
ぎた杭は打てない、ともいうみたいだから」
「頑張らないと」と繰り返す。そんな責任感も、お母さんだ。
銀杏のように
広島に原爆に耐えた銀杏の樹がある。銀杏は強い樹だ。シャトージンコの銀杏もまた生命力のシンボル。シャトーには下の娘さんの誕生のときに植えた銀杏の樹があるという。
「私はボルドーで死ぬ」
伝統の最初の一歩を踏み出した。やがてジンコの木は古樹になり、シャトーのメルローの樹齢も越えるだろう。銀杏に見守られ、その頃、ワインを造っているのはふたりの娘さんかもしれない。