
醸造家のリッチー・ハーカムさん。「ハンター・ヴァレーのほかのワインとはぜんぜん違うだろう?」とすごく誇らしげだ。
ハーカム・ワイナリー
話の中で、「デリケートなセミヨンに樽をかけるなんてクレージーだ」とティレルズのブルースさんは言ったが、それを聞いて、日本で飲んだあるセミヨンを思い出した。それはとろりとして蜂蜜のようにまろやかだった。セミヨンの新たな側面をみせてくれた1本で、私は嫌いではなかった。ティレルズさんとお会いした翌日に偶然にも、そのワインの造り手、ハーカム・ワイナリーを訪れることができた。
400-500人/週もの客が訪れるという地元でも人気のセラードア
ハーカム・ワイナリーは2005年創業と新しく、生産量も年間25,000本ほど少ないが、日本にも輸入されている。まず一番の特徴が、樽を使うこと以前に、「コーシャー」で造っている点だ。
コーシャーとはユダヤ教の戒律にもとづく食の規定。すべてのワインがコーシャー・ワインなのは、オーストラリア広しといえども、ハーカム・ワイナリーだけだという。そのコーシャー認定を受けるには、ワイン醸造のすべてのステップは、ラビという位の高い聖職者の立ち会いのもと行わなくてはならない。ワインの熟成庫の鍵はラビが持っていて、驚くことに、醸造家ですら一人ではそのエリアに入れないという。
人が介入することは、神聖さを失うこと
ぶどうはすべて手摘みで、できるだけ人が介入しないことを重視する。人が介入することは、自然から遠ざかること。つまり、神聖さを失ってしまうことに繋がるというコーシャーの考えによるものだ。
入ってすぐのところにあった、ワイン造りの図。そこには「Let the grapes speak(ぶどうに語らせよう)」の文字。
説明の間、「holyness(神聖)」というキーワードが何度も出てきたように、ワインは神聖なものとして扱われ、とくにぶどうがお酒に変わる発酵段階がもっとも神聖だという。
昔のワインの造り方のように自然に発酵がはじまるのを待ち、温度管理なども特にしないが、発酵が早いときはクラシックを、発酵が遅いときはロックをかけたりと「ナチュラル」に調整する。「音楽によって波動が違い、それが発酵の仕方にも影響を及ぼす」という。
「フィルターをかけると、味わいが一皮むけてしまう」ため、ワインはすべてノンフィルター。基本的には亜硫酸無添加という「ナチュラルワイン」だ。
だが、すべて手をかけないというわけでなく、プレスしてぶどうを破砕してからは酸化しないようすぐに冷却するなど、気も使うところには使う。樽を使うのは、ナチュラルワインはステンレスタンクよりも樽のなかでのほうがいい感じに熟成するからだという。テクスチャーもよくなる。ワインの安定化もかねてマロラクティック発酵もするので、酸は穏やかに、まろやかなワインになるのだ。
オレンジやブロッサムのアロマ、ゆるやかに広がる余韻の酸が心地よい「アジザ・シャルドネ」
祖母の名前を冠した「アジザ・ワイン」は、ハーカム・ワイナリーの出自があらわれた1本。もともとイスラエルに由来するハーカム家、リッチーさんの祖母は自分で野菜やワインを作り、自給自足の生活をしていたという。