テート河南部
ペルピニャンの南方に目をやると異形の山塊が目に入る。平原にすくっと立ち上る壮大な突起物。富士山の畏敬に似た壮大な眺めがあるのは、少し言い過ぎかもしれないが、何か人を引きつける山であることは間違いない。このカニグー(Canigou)山は、全長2784mで、暑い夏にも関わらず、頂上は少し雪がかっている。古代ギリシア人がこの山の鉱脈資源に目をつけ、この地に赴いたことから、この地方のワイン産地としての歴史の始まりであった。

海沿いのアルジェレス・シュール・メール(Argelès-sur-mer)の畑。礫岩と粘土質石灰。ところどころ、ピレネー山脈の花崗岩・片麻岩が混じった区画も存在する。今年の春には被害はなかったが、2016年には霜の被害に遭い、約50%の収穫減となった地区もある。
カニグー山麓の一帯はアスプル(Aspres)と呼ばれ、ワイン産地としては絶好の場所であった。
土壌は、第四紀の石ころと礫土壌で、なだらかな丘が、アルベール丘陵まで広がる。石ころまじりの、黄色と赤色粘土質砂質土壌。
ここアスプルの地は、1951年にはルーシヨン初の法規定として、VDQSとなり、1977年に AOC コート・ド・ルーシヨンに含まれるようになったものの、この地がそれなりの評価を受けてきたとは言えない。
今年2017年の法改定により、コート・ド・ルーシヨン・ヴィラージュ・レ・ザスプル(Côtes du Roussillon Villages Les Aspres)が正式に認められ、ルーシヨン南部初のヴィラージュが生まれた。
「品質を上げるために、シラーを植える」といった地道な努力が実を咲いたのか。はたまた、「真夜中に収穫して、白葡萄の酸味をマックスの状態で収穫する」というような新たなる栽培技術の向上か。さらには、「粘土を固めた甕で熟成したり、赤ワインを小樽で発酵させたりといったことも実験的に行っている」といったような醸造法の改良か。
なによりも、氷河期に由来する礫土壌は、ポムロール(Pomerol)や、シャトーヌッフ・デュ・パープ(Châteauneuf-du-pape)と同じ、濃縮型のワインの生む。開放的で温暖な味わいのとてもパワフルなワインが生まれる。そういった事から、ロバート・パーカーが高く評価したということもうなずける話である。そういった影響からか、この地方のワインの最大輸出先は、アメリカと中国である。
コリウール(Collioure)、バニュルス(Banylus)は海沿いのアペラシオン。スペインに最も近く、海岸線に突き出た格好で、土壌は先カンブリア紀のシストの特殊土壌である。イベリア半島がヨーロッパ本土に衝突する大陸移動によって、ピレネー山脈が成立した。だから、もともとイベリア側の岩盤であった部分がピレネー山脈以北に残った、
「スペインの土壌」。そしてコリウールは、ルーシヨンの辛口白ワインの中で唯一、村名のつけることを許された場所でもある。
唯一白ワインの生産が認可されたということは、意味がある。樽熟によるリッチで海の幸の味わいをもったワインが生まれる。特殊なワインの一つであり、オマールのソースアメリケーヌや、ラングーストなど甲殻類に適した強いワインだ。比較するならばスペイン・カタルーニャの白ワインに似ている。
コリウール赤もフルーティーで、ソフトな優しい味わい。
VDNバニュルスは、北部のモリーと双璧をなす酒精強化甘口ワインである。しかし、同じグルナッシュ主体の甘口でも味わいは異なる。
シスト土壌ではあっても、生まれた時代と、土壌成分の違い、標高の高低差があって、味わいは異なる。モリーほどのフレッシュさ、チェリー香はなく、より強い濃度と、よりレーズンの香りと、チョコレートの苦みの強さがある。より地中海的な味がする。
いまでこそ、スペイン領の小さな島、マヨルカではあるが、中世においては地中海に覇を競った時代があった。ペルピニャンはマヨルカの重要な拠点の一つであり、この王朝のもとにあっては、ワイン造りが盛んに奨励された。マヨルカ朝ジャック1世(Jacques 1er de Majorque)は、1299年11月17日に「ルーシヨン, ヴァレスピール(Vallespir),コンフレン(Conflent)へ、陸路にせよ海路にせよ、どんな外国からもワインを輸入することを禁止」する勅令を発し、よくワインを守った。
今日でも同じ問題が続いていることだが、島が拠点の国の関心事は、如何にワインを劣化させずに輸送するかということである。だからワインをどのように長持ちさせるか、ということに気が配られるようになるわけである。1369年には「ワインをより遠くの場所へ輸送するのに耐えるために、どのようにより長く保存するか」といった、ワインの品質に対する討議が行われたという記事が残っている。

エスタジェル村の生産者、リオネル・コメラード(Lionel Comelade)。程よいタンニンの彼のワインと、カルゴラード(Cardolade)の相性はピッタリ。この料理は、エスカルゴにラルドン、ニンニクなどをつめこみ、葡萄の枝でグリルしたこの地方の郷土料理だ。
そして、恐らく、その過程から酒精強化ワインが生まれた。
それは、ポルトガルとオーストラリアの酒精強化ワインが、イギリスへの輸送の過程において生まれたのと、コニャックがオランダへの輸送に耐えるために生まれたのと、経緯が似ている。
さらに中世の知識人、アルノー・ド・ヴィルヌーヴ(Arnaud de Villeneuve)がカタルーニャを拠点にしていたことも重要であった。医師・薬剤師であった彼は当時最先端のイスラム医学書などを次々とラテン語に訳し、その過程でアルコール(スピリッツ)生成の方法をラテン世界に伝えた。
だから、ここルーシヨンは史上初酒精強化ワインが生まれた場所であるとされる。