銀座にエノテカ・ピンキオーリがあった頃、彼女と開けた1本
個人的な話題からスタートして申し訳ないが、カステッロ・ディ・アマは思い出深い造り手だ。まだ銀座にエノテカ・ピンキオーリがあった頃、トスカーナ出張前の彼女(ご心配なく。現在の家内です)とランチに行き、ふたりで開けた1本がカステッロ・ディ・アマの「ヴィーニャ・ラッパリータ(現ラッパリータ)」。ヴィンテージは1987年だった。
トスカーナのキャンティ・エリアで、これほどまでに素晴らしいメルローを造る生産者がいるのかと、心から感動した。
あれから20年以上の歳月を経て、ついにその造り手と出会えた。マルコ・パッランティ。カステッロ・ディ・アマのオーナーであり、1982年からワイン造りに従事している。
「カステッロ・ディ・アマは3家族によって所有され、私の妻の実家もそのひとつでした。1982年に私はアマに来て、ワイン造りに携わることになりましたが、当時、イタリア国内には最先端のワイン醸造を学べる大学はなく、フランスに渡り、ボルドー大学で学んだのです。
その時に、シャトー・ムートン・ロッチルドの醸造責任者だった故パトリック・レオンと知り合い、彼にこの土地に最も適した品種は何かと尋ねました。彼は即座にメルローと答えました」
メルローを植えたのは、標高490メートルに位置する粘土石灰質土壌の土地。それまでカナイオーロとマルヴァジーア・ネーラが植わっていたが、その根を残し、メルローの穂木を接いだ。
ラッパリータの初ヴィンテージは1985年。筆者がピンキオーリで味わったのと同じ1987年ヴィンテージはスイスのアカデミー・デュ・ヴァンが主催したブラインド・テイスティングで、ペトリュスやル・パンなど世界的なメルローを打ち負かし、一躍スターダムに躍り出た。そのテイスティングにはメルローの神様ことミシェル・ロランも審査員として名を連ねていたという。
キャンティ・クラッシコの素晴らしさを表現するために
いささか思い入れの強いラッパリータの話ばかりしてしまったが、アマの真骨頂はなんといってもキャンティ・クラッシコである。70ヘクタールのブドウ畑はガイオーレ・イン・キャンティの近郊、標高450~550メートルの高地に位置する。
キャンティ・クラッシコでは2013年に、従来のリゼルヴァの上に「グラン・セレツィオーネ」を設けたが、アマのそれが「サン・ロレンツォ」。1982年から14年かけてブドウ畑の区画を整理したマルコ。このサン・ロレンツォにはブドウが一様に熟す、およそ40ヘクタール分が充てがわれる。
さらに、「キャンティ・クラッシコの素晴らしさ、テロワールの違いを表現する」ために造られているのが、クリュ(単一畑)の「ベッラヴィスタ」と「ラ・カズッチャ」。
「当時はスーパー・タスカンとの葛藤があった。(DOCGを捨てIGTトスカーナを選んだ)『レ・ペルゴーレ・トルテ』や『チェッパレッロ』がキャンティ・クラッシコに戻ってくる受け皿になればよい」
と語るマルコの目には、キャンティ・クラッシコに対する愛情と矜持が溢れていた。