芸術家が造り出すワイン
仕事上、ワイン醸造家やワイナリーのオーナーと話す機会が多い。
先日、ラベルが飲み手の目を引くと話題のAmato Vinoというワイナリーを訪れた。ワイナリーの門をくぐりブドウ畑を眺めながら車を走らせ、脇道を登ること数分。丘の上に建つ醸造所から眼下に180度広がるブドウ畑の景観が印象的だった。
重いスライドドアを開けると、醸造家兼オーナーのブラットが待っていてくれた。アインシュタインが若返ったような知的な風貌。
言葉は必要ないといわんばかりに会ってすぐに、樽の中で熟成中のネッビオーロを試飲させてくれた。フローラルでスパイシー、様々な香りのレイヤーを重ねた存在感のあるワインだった。醸造中のワインをいくつか試飲させてもらい、本題へ。
「ラベルを見せてほしい」
Amato Vino のラベルには、大きなキャンパスに描かれた実際の絵が起用されている。ワイン醸造家であり芸術家であるブラットが描いたものだ。ボトルに貼られたラベルを手にとってみると、その絵からメッセージ性を感じるのだ。
「何か伝えようとしている」
それは、彼のワインを樽から試飲した時の感覚と同じであった。
芸術家と呼ぶと、彼は少し照れ臭そうであった。絵を描くということに対しては、何の教育もトレーニングも受けていないという。ただただ、感じたままを自由に表現する。強いていうなら、いろんな色は使わない。
出来るだけシンプルに。深さ・質感・ふくよかさを意識している。それは、まさに彼のワイン醸造でのアプローチと同じなのではないだろうか。
アートとワイン
完璧とは何なのか? 終わりはどこなのか? その答えが見つからない点では、アートもワインも同じといえる。絵を描く中で、どこで筆を止めようか。ワインを醸造する中で、いつ熟成を止めてボトル詰めしようか。
描き手や造り手によっていったん句読点は打たれるものの、絵は壁に飾られることにより魅力は生き続ける。ワインは、飲まれることによって想い出として誰かの心の中で輝き続けるのだ。
絵を描いているときは、何も考えずにクリエイティブでいられる。絵を描くことには、締め切りも無ければ達成しなくてはならないゴールがあるわけでもない。とことん自由でいられるのだ。ワイン造りもそう。ブドウがワインになるままを待ち、見届け、守り抜く。「造る」というよりはブドウの成るままに「導く」のが、彼のワイン造りなのであろう。
いたってシンプルでありながら、情熱を感じる。その情熱が、説明をしなくともラベルを見てワインを飲むことでしっかりと伝わってくるのだ。
ブラットを支える最愛のパートナー、シャロンにも話を聞いてみた。彼の創造力にはいつも、驚かされると言う。ブドウの選定からワイン醸造、ボトル詰め、そしてラベルのアートワークまで全ての過程に全力を注ぐ彼の情熱と探究心には、頭が上がらない。シャロンもブラットと同じことを話すのだ。
「私たちの言葉がなくともワインが自分で飲み手に話しかけてくれる」
ワインの持つ個性は、ボトルの中でゆっくりと大きく羽ばたき飲み手を魅了してくれるはずだ。と二人は語ってくれた。