いつ、誰が、どこで造ったのか?
オーヴィレール修道院のドン・ピエール・ペリニヨンは、スペインから来た巡礼僧の水筒に使われていたコルク栓に着目し、初めて発泡性のシャンパーニュを生み出した。
これがいわゆるドン・ペリニヨン伝説である。
ドン・ペリニヨンは太陽王ルイ14世と生没をほぼ同じくしている(1638、もしくは39年〜1715年)。オーヴィレール修道院に入ったのは1668年で、発泡性のシャンパーニュを発明したのは80年ごろ……とされているが、その確たる証拠はない。
ただし、黒ブドウから澄んだ果汁を得る方法や、また産地の異なるブドウを混ぜて品質を高めるという、今日のアッサンブラージュに通じる原理を生み出した。たとえ発泡性シャンパーニュの生みの親ではないにせよ、その発展に貢献した人物であることは疑いのない事実である。
では発泡性のワイン、シャンパーニュはいつ、誰が、どこで造ったのか?
少なくとも1663年には、英国で泡立つシャンパーニュが飲まれていたらしい。この年に書かれたサミュエル・バトラーの「ヒューディブラス」という詩の中に、「発泡したシャンパーニュ」の一節がある。
発泡性のワインで有名になる前、シャンパーニュ地方で造られていたのは、ピノ・ノワールを醸した赤ワインだった。しかし、ブドウ栽培の北限にあるこの地方では、満足のいく赤ワインは容易にできず、ブルゴーニュにはとても太刀打ちできない。
そこで開き直った造り手たちは、ピノ・ノワールを白ブドウのように直接圧搾した果汁から、ヴァン・グリと呼ばれる薄ピンク色のワインを造った。これが予想外の好評を博したという。
シャンパーニュのヴァン・グリは、英国にも輸出された。冷涼なシャンパーニュ地方では、アルコール発酵が終わらぬうちに、酵母が活動を停止してしまうことがしばしば起きる。それとは知らず、樽に詰められて英国に運ばれたワインは、この国で早くも普及していたガラス瓶に詰め直され、コルクで密栓された。
瓶詰め状態で温かな春を迎えると、休眠していた酵母がガラス瓶の中でアルコール発酵を再開。それによって生じた炭酸ガスがワインの中に封じ込められ、発泡性に生まれ変わった。驚くなかれ、発泡性のシャンパーニュはどうやら英国で誕生したようなのだ。
この泡立つシャンパーニュを広めた人物に、サンテヴルモン侯爵がいる。のちのシャンパーニュ騎士団の前身となるオルドル・デ・コトーを設立した貴族だが、マザラン枢機卿に命を狙われ、英国国王チャールズ2世のもとに亡命していた。侯爵はロンドンの宮廷で、シャンパーニュ産の泡立つワインを多いに宣伝したという。