パレスチナには固有品種がたくさんあった
ワインはときに「キリストの血」などと言われることがあるけれど、それは最後の晩餐において、イエス・キリストがワインを自分の血だと表現したとされるから。イエスは、水をワインに変えてみせたこともある。聖書には、これ以外にもワインがいくども登場する。ひどく酔うことは推奨されてはいないとはいえ、キリスト教においてワインは、神が人に与えた、喜びをくれる飲み物だ。
では、イエス・キリストが生きていた当時、つまり紀元0年ごろのワインとはどんなものだったのだろう。イエス・キリスト生誕の地、パレスチナ自治区のベツレヘムは、いまも昔もブドウとオリーブの産地。そして、いくつかのワイナリーが、聖書のワインへのアプローチをはじめた。今年にはいって少量が日本でも販売されるようになった、クレミザン修道院ワイナリーも、そんなワイナリーのひとつだ。
とはいえ、2000年前の醸造方法など、明確にはなっていないし、当然、当時のワインを飲んだ人も生き残っていない。
イスラエルの公立大学、アリエル大学のワインの研究者であり、ワイナリーの経営者でもあるエリヤシブ・ドローリさんは、遺跡発掘現場からみつかったブドウの種を調べることで、当時、ワイン造りに使われていたブドウの品種をつきとめた。というよりも、当時は、赤、白、甘口、辛口などの区別はすれども、メルローとかカベルネ・ソーヴィニヨンとか、特定の品種からワインを造っていたわけではないらしい、ということをつきとめた。
研究の結果明らかになったのは、パレスチナには120品種もの、外来種ではないブドウがあったこと、そのうちの50品種は人が栽培していたこと、そして20品種はワイン造りに使えるブドウだということ。イスラエルやパレスチナは固有品種の宝庫だったのだ。
これらの品種は、失われた品種などではなく、今日でも残っていた。そこで、この、イエス・キリストも口にしていたかもしれないブドウでワインを造ろうという挑戦が、現在、イエス・キリスト生誕の地のいくつかのワイナリーでなされているのだ。
巧みなワイン造り
ただ、それは聖地としての観光収入が地元の大きな財源であるパレスチナのマーケティング上の話でもある。
クレミザン修道院ワイナリーは、たしかに2008年から、これら紀元0年にも存在していた固有品種のみで造るワインを造り始めているけれど、それは、イタリアの醸造家、リカルド・コタレッラ氏が、国際品種のブレンドでワインをつくっていた彼らに、地元のブドウ品種を使うことを勧め、そして、固有品種によるファインワイン造りのためアドバイスを長期にわたってした、という背景もある。
クレミザン修道院ワイナリーは、いまも国際品種のブレンドによるワインも造っているけれど、固有品種のワインは、個性的で、地元の食事にも合う。そもそも、家庭でワインを造るのはこの地の伝統。造り方は、確かに機械化などの現代化しても、その本質は、長らく受け継がれたものだ。彼らは原点を見つめ直したのだ。
クレミザン修道院ワイナリーは1885年からワイン造りを続ける、パレスチナ自治区ベツレヘムの老舗にして大手。そのワイナリーが挑む、聖地のオリジンに忠実なワイン。中東のワインのショー
ケースたることを目指し、現在、国際市場に打って出ている。ダボウキ、ハムダニ、ジャンダリ、バラディと品種の名前は耳慣れないけれど、ワイン造りの巧みさはワールドクラスだ。
事実、最近では、「ハムダニ・ジャンダリ2017」と「バラディ2015」がサンディエゴで開催された国際ワインコンテスト「SAN DIEGO INTERNATIONAL WINE&SPIRITS CHALLENGE」で銀賞を受賞。日本未輸入なるも、「ダボウキ 2018」が金賞(こちらを参照 https://www.sandiegowinechallenge.com/results.html)。日本ではワインコンプレックスによる『ラムワインコンテスト 2019』で「ベツレヘムの星 赤 2017」がブレンドワイン賞を受賞している。