ワインラバーの聖地、ブルゴーニュへ
結論、素晴らしい景色だった。ただ普通の畑たちでもあった(笑)。
あの『ロマネ・コンティ』はここか~? それで、『ラ・ロマネ』ってどこ? 印とかないの? あそこ??
そんな感じだったのだ、私のようなまだ素人にとっては。
一番驚いたのはそれぞれの畑が小さくて、お隣さんとの畑と隣接しまくり、見ようによっては全部一つの畑に見えること。
あと畑の表札がめちゃくちゃ地味で、読み取りにくいもの多数。これじゃどこの畑がなのか分かりづらいなと思いながら見つめていた。
もっと海外からのワインラバーの来訪者に対して、おしゃれな看板とかあったら素敵なのにと、率直に思った。世界最高峰らしく来訪者に対してもっとアピールしたらいいのに・・・。そう思う一方で、それって果たして必要?? とも自問自答していた。
その時、ロマネ・コンティの畑から聞こえてきたもの
その時、ふいに石垣りんの「表札」の詩と重なり、目前の畑たちから、声が聞こえてきた。
「あのさ、グラン・クリュとプルミエ・クリュの畑が30㎝しか離れてないとか、分かりにくいから目立つ看板作れとかうるさいよ、お前誰だよ!」と。
「俺らは誰にも決められたくないんだよ、これで最高のワインを作る、お前が生まれる昔からずっと俺らは俺らなんだからさ。あと、俺らはさ、いろいろな立場で差別しないでリスペクトしてる。本来持っている畑のまま生きる精神を、邪魔するなよ、人間」
そして続いて聞こえてきた、サラリーマンには厳しい一言。「お前こそ大丈夫か?『表札』にこだわって自分の本質見失ってないか?」
ハッとさせられた、ロマネ・コンティ畑の前。
「精神の在り場所も、ハタから表札をかけられてはならない」
それがロマネ・コンティ。それでよいのだ。目立つとか読みにくいとか、どうでもいいのだ。
帰国してきて、ゴルゴーニュの記念写真を見直すと全部、同じ畑にしか見えないと友人にもいわれる。確かにそうだ。でもそれでいいのだ。畑にとって、人に見られるよりずっと大切な仕事が彼らにはあるのだから。