1985年、母とわたしは欧州6か国の旅に出た。イギリス、オランダ、スペイン、イタリア、スイス、フランスを2週間で回るという強行軍。添乗員同行3食付、フリータイムなし、総勢25名がぞろぞろと一緒に動くパッケージツアー。それでも初のヨーロッパはどこも素敵だった。
旅の中盤、マドリードから空路ローマへ。バスに乗り込み観光名所を回る。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂では「ミケランジェロのピエタ」とご対面、サンタマリア・イン・コスメディン教会ではオードリー・ヘプバーンよろしく「真実の口」に手を突っ込んだ。その後、市内中心部に入りランチタイム。
「近くに革製品の店がありますから、よろしければいらしてみてください」 添乗員の誘導に、母とわたしはすぐさまショップへ。いかにもローマらしい重厚な建物の扉を開けると、なんと目の前に、懐かしい友の姿があるではないか。まさかこのローマの、しかもこんな路地裏で、日本の友との再会があるなんて。彼女はある時期、病いに倒れ、以来逢えないままになっていた。わたしたちは抱き合って…
「どうしてここに?」「どうしてたの?」「元気でよかった!」と奇跡の再会に感極まった。一年前からその店で働いているのだという。「明日、時間ある? ローマを案内したいの」
添乗員に事情を話し、予定していたナポリ・ポンペイツアーをキャンセル。同じく日本人で、語学留学中のAさんと料理修行中のYくんも連れだって、ナボーナ広場やパンテオン、ローマ一美味しいと評判のジェラテリア「ジョリッティ」にも。
夕食はYくんの仕事場トラットリア「Tavernetta(タヴェルネッタ)」で。ナスの重ね焼き、トマトのファルシー、生ハムやサラーミ盛り合わせなど、どれもこれも忘れられない本場イタリアの味。ツアーに組み込まれていた食事はいまいちだったので、感動はひとしおだ。ワインは確か、ラツィオの銘酒「フラスカーティ」。
女4人で「ローマの夜景を見に行こう!」 タクシーを拾い、ローマの七つの丘のひとつに繰り出した。待ち時間、運転手さんも一緒に夜景を楽しんだ。イタリア人って陽気だなあ。イタリア語は全然わからなかったけど、運転手さんと彼女たちの話す会話に聞き惚れた。今思えば、友人たちのイタリア語は片言だったのかもしれないが、そのやり取りはわたしには「音楽のような響き、心地よい音」に聞こえたのだ。
「イタリア語を話してみたい!!!」 わたしの『ローマの休日』はその後10年のときを温めて、イタリア語教室の扉をたたくことになったのだ。