白亜石灰質土壌のシャルドネの聖地
シャルドネの栽培地区として名高いコート・デ・ブラン(=白い丘)はその名のとおり、白亜石灰質土壌で、エレガンスとミネラルを備える『シャルドネの聖地』として知られています。
実際に地下にあるメゾンのセラーを見せていただくと、壁の石灰が水分を含んでいて、水滴がセラーの天井から沁み出て鍾乳洞のツララのようになっていることも目にすることができました。こんな白い土壌で育つシャルドネが、シャンパーニュに与える影響とはどれほど大きなものなのでしょうか。試飲をしつつ、お話をうかがいました。
メゾンの成り立ちは1985年に圧搾場を購入したことに始まります。
翌年には創業者ジェルヴェ・ペローの名からシャンパーニュメゾン・G・ペロ・バトーが誕生します。
ジェルヴェは経営に励み、妻メイリーンは畑作業と販売に勤しみますが、1999年に一時営業活動の休止を余儀なくされ、その後は畑でよりよいブドウを栽培することに専念しつつ、再起を期していたのでした。
それから10年の時を経た2009年、ジェルヴェとメイリーンの娘のひとり、シンシアは醸造家として複数のシャンパーニュメゾンで研鑽を積み、経験とともに両親の元へ、もうひとりの娘セリーヌはメゾンと顧客をつなぐ支局としてパリに在住することで、G・ペロ・バトーは家族の名前はそのままに、新生ペロ・バトー・エ・フィーユとしてメゾンを再起させたのです。
所有するプルミエ・クリュの畑のうち、95%はシャルドネ、5%はピノ・ノワールを栽培。環境に配慮し殺虫剤は使用せず、病害に対しては必要に応じて必要な処置を行うリュット・レゾネ(減農薬栽培)が行われています。メゾンの主力はブラン・ド・ブランで、エレガントで繊細、洗練と年ごとに現れる秀逸さが軸です。
ペロ・バトー・エ・フィーユがもっとも得意とするブラン・ド・ブランは4種類がリリースされています。
そしてロゼシャンパーニュは、5%のピノ・ノワールからつくられた赤ワインを12~15%(比率は年によって変わる)アッサンブラージュしたもの。
ペロ・バトー・エ・フィーユでは現在、ロゼシャンパーニュのボトルも緑ボトルへと移行しています。あえて透明のボトルをやめたのは、透明のボトルを製造するのには緑ボトルよりも酸素を約5倍も使用する、と知ったからです。環境に配慮したサステイナブルな取り組みの一環、とのことでした。
2014年と2015年収穫のブドウからつくられたアイテムはメゾンの特別なシャンパーニュです。
まだリリース前でラベルも張られていない状態でしたが、試飲させていただきました。ボトルも特別で、ネック部分が細く、銅の部分は太くなっています。
これはリュミアージュの際、澱をネック部分に溜めてデゴルジュマンの際に出やすくするためと、胴の部分が太い分、瓶内二次発酵中に澱との接触部分が広くなるため、とのことです(現在名だたるシャンパーニュメゾンでも採用されています)。
さて、ブランド名となっているペロ・バトー・エ・フィーユの、“フィーユ(=filles)”とは、『娘たち』を意味する言葉です。“ペール・エ・フィス=Père et fils(父&息子)”はよく目にしますが、“フィーユ”は見た記憶がありませんでした。
ワイン業界でも女性醸造家や広報をつとめる方々に多く出会ってきたし、21世紀を生きるわたしたちにとって女性の社会進出は珍しいことではないのに、メゾンの名前として、“娘たち”と称しているのはフランスでも珍しいそうです。
「なぜ珍しいの?」
直球で質問をすると、シンシアさんはこう言いました。
「(ワイン業界は)男性中心の世界だから」と。軽いめまいにも似た衝撃でした。
日本よりはるかに女性の社会進出が進んだフランスでの一幕。
「では、ペロ・バトー・エ・フィーユはシャンパーニュ界のパイオニアですね」と伝えると、「そうとも言えるかしら。でもすでに多くのマダムやヴーヴ(未亡人)がここシャンパーニュでは活躍してきたわ」と謙遜し、はにかむシンシアさん。
その通りだ。いや、でもこの試みも第一歩。同じ女性として勇気と希望をもらった気分でした。
家族が育むシャンパーニュ、レコルタン・マニピュランのペロ・バトー・エ・フィーユ。訪問はほんの数時間でしたが、多くのコトを教えていただいた貴重な時間となりました。
シャンパーニュメゾン・ペロ・バトー・エ・フィーユ
www.champagneperrot-batteux.com
インポーター:株式会社アンジュエ
www.enjoue-vin.com