アンリオはなぜ高品質なブドウを入手できるのか?
薫風が頬を撫で、野の様々な植物が枝葉を伸びやかに広げる5月、新緑眩しいフランス・シャンパーニュ地方へ訪れる機会を得ました。
真っ先に訪問したのはランス。家族経営の老舗シャンパーニュメゾン、アンリオでした。
使用するブドウの大半はグランクリュとプリミエクリュという格付け率の高さで知られ、長期熟成とノンヴィンテージのスタンダードなシャンパーニュにもリザーヴワインを豊富に使用することで、メゾンのスタイルを確立しています。
アンリオは、なぜ高品質なブドウを入手することが可能なのか? その理由は、メゾンの歴史を抜きには考えられません。
ランスは、長年にわたってパリとブルゴーニュ地方を包括する北フランスの主要商業都市でした。ロレーヌ地方で織物商人だったアンリオ家は1640年、この地へ移住し、いくつかのぶどう畑を購入しました。すでにシャンパーニュ地方のワインは、修道院の僧たちによる献身的な労働と革新よって高い名声を得ていました。17世紀の“太陽王”ルイ14世をはじめ、宮廷の人々によって数世紀にわたって愛されています。
とはいえ、この頃はまだワインも醸造法もまだまだ洗練されておらず、とりわけ北フランスでは大胆な改革が必要とされました。
格付け畑のピノ・ノワールとシャルドネ
1808年、ニコラ・アンリオの若き未亡人アポリーヌ・ゴディノ(高名なぶどう栽培家出身)が夫の遺志を受け、「ヴーヴ・アンリオ・アイネ」の名でワイン商を設立しました。
このアポリーヌ女史の貢献はメゾンを立ち上げただけではありません。彼女との結婚によってアンリオ家には、ピノ・ノワールの名産地モンターニュ・ド・ランスの畑がもたらされるのです。
さらに時を経た1880年、アポリーヌの孫ポールがマリー・マルゲと結婚したことで、シャンパーニュのセパージュに欠かせない素晴らしいシャルドネが育つコート・デ・ブランの畑がもたらされたのです。
現在のアンリオのシャンパーニュが結婚(マリアージュ)によってもたらされているなんて、おとぎ話のようなストーリーです。
アンリオ家のワインつくりへの情熱とプレスティージュワインへのこだわりは衰えることを知らず、アポリーヌの孫アーネストの頃にはオランダ王室とオーストリア-ハンガリー帝国の公式シャンパーニュに選ばれました。その後、訪れるフィロキセラや第一次世界大戦の困難な時代も家族で乗り越え、現在に至ります。
デゴルジュマンの真っ最中で大忙し! というセラーマスターのローラン・フレネ氏も、日本人が見学に来ていると聞いて顔を出してくれました。日本が大好きで、次回の訪問を楽しみにしている、とのこと。本当に挨拶だけ、ほんの1、2分でしたが、日本から来たわたしたちを大事にしてくださる気持ちが伝わりました。
歴史があるからこそ表現できるシャンパーニュがある。
アンリオ独自のスタイルはこれからも継承されていくことでしょう。
シャンパーニュ・アンリオ www.champagne-henriot.com
インポーター:株式会社ファインズ www.fwines.co.jp