ねえこのワインなんでも合うね
きっと小エビのフライや天ぷらなぞもいいゾ。後口に残る、純粋なブドウの甘みが、魚介の揚げ物と合う気がする。
うん、調子が上がってきた。ブリードモーも合うぞ。しかしこの許容力をいかさんと、冷蔵庫からミモレットも取り出して合わせてみる。
いい。ミモレットの太いうま味に、すっと寄りそうじゃありませんか。
この寛容さは、時間も場所も選ばないかもしれない。太陽の下やプールサイドでもいいし、今のように一人静かに、深夜のテーブルで飲むのも否定しない。うう。少し酔ってきたかな。
では合う音楽はどうだろう。この寛容力のことだから、ブルースでもいいんじゃないかとかけてみたが、振り切りすぎた。まったく合わん。
フラメンコギターもいいかもしれないと、沖 仁(おき・じん)をかけてみる。フラメンコギターが内包する、情熱と悲哀が泡と抱き合う。寛容さといい、明らかにこのスパークリングは、ラテン系だな。
だがもっと合ったのは、ジャズピアノだった。ビル・エバンス「アローン」。マル・ウォルドン「レフト・アローン」。ダラー・ブランド「アフリカン・ピアノ」。
どれもいい。軽快なワインの泡立ちと、リズミカルなピアノのタッチが同期する。
中でもこれだと思ったのは、キース・ジャレットの「ザ・ケルン・コンサート」であった。シンプルな主旋律を繰り返しながら、第に高まっていく演奏、熱情と静寂、時折雄叫びをあげる、キースの声。
人間的なのだ。人間の良い面も悪い面もさらけだした、てらいのない演奏が、寛容なスパークリングがもたらした酔いを、いい気分で増幅させる。
俺たちは人間さ。すべてを飲み込んで、酔おうじゃないかと、思わせる。
飲む相手は、ダレがいいかな。目力の強い女性がいい。あっけらかんとした、天然な寛容さがある女性がいい。
一瞬、情熱的なベネロペ・クロスを思い浮かべたが、あのいつもどや顔的表情では、ワインも僕も負けてしまう。
考えていくうちに浮かんだのは、吉田羊である。美人なのに、どこか庶民的でもある。自由奔放に生きているようでいて、苦労もし、どこか生き方が不器用そうでもある。
人間的なのである。だから演技も深いのだろう。彼女とこのスパークリングを飲みながら、色々な料理を試したい。
串揚げ屋に持ち込んで、「イカやエビにも合うけど、ウィンナーもいい、ああ、すごくいい」と、と、笑顔で呟かれたら、たまらないでしょ。ワインも喜ぶ。
家でキースをかけて、泡に音符を溶かしながら飲むのもいい。
ちょっとアゴ上げてしゃべり始める独特の仕草で、彼女は言う。「ねえこのワインなんでも合うね。もしかしたらすき焼きにも合うかも」。「合わねえよ」と思いながらも、つい「そうだね」といってしまう力が、彼女とワインにはある。
マリアージュなんて、人の心も趣なのさと言いたくなる、自由な空気が満ちてくる。
酔いが深まる。そのとき彼女が、本心を見せ始めるのだ。陽気の影に隠した寂しさを滲ませる。そして呟く。
「このワインのせいよ」と。
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